足の骨を折らなかった
イエス・キリストの十字架刑の時、
十字架から取り降ろされる時、一緒に十字架につけられた二人の犯罪人は、
十字架の上でまだ息がありました。
そのため、足の骨を折られて万が一にも逃走できないようにされました。
そこで、兵士たちが来て、
イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、
もう一人の男との足を折った。
ヨハネによる福音書 19章32節
ところがイエス・キリストは、取り降ろされる時すでに
十字架の上で息絶えていました。
そのため、足を折られることはありませんでした。
イエスのところに来てみると、
既に死んでおられたので、
その足は折らなかった。
ヨハネによる福音書 19章33節
イエス・キリストの骨が折られないということは、
十字架のはるか以前に、すでに聖書の中で預言されていました。
「その骨は一つも砕かれない」という聖書の言葉があったというのです。
これらのことが起こったのは、
「その骨は一つも砕かれない」という聖書の言葉が実現するためであった。
ヨハネによる福音書 19章36節
旧約聖書には、次のような言葉があります。
主に従う人には災いが重なるが
主はそのすべてから救い出し骨の一本も損なわれることのないように
彼を守ってくださる。
詩編 34編20〜21節
骨の一本も損なわれることのないように
彼を守ってくださるという、詩編の言葉です。
骨が損なわれないというのです。
もうひとつ、過越祭の規定のところでも、
過越の小羊を食べる時は、骨を折ってはならないと
決められていました。
一匹の羊は一軒の家で食べ、
肉の一部でも家から持ち出してはならない。
また、その骨を折ってはならない。
出エジプト記 12章46節
過越の小羊は、その後に来られる本物の救い主を予表するものでした。
救い主のモデルだったのです。
過越の小羊が屠られて、血を流して死んだように、
本物の救い主イエス・キリストも、十字架の上で
血を流されて死なれました。
まさにその姿を、過越しの小羊は表していたのです。
イエス・キリストの十字架の贖いは、その起こるはるか以前から
神によって計画されており、それがあらかじめ予告されていたことが
このことから、わかります。
全人類にとって、極めて重要なこと故に
神は、歴史を超え、はるか以前からそれを予告して
実行にうつされたのです。
神が万全の準備をもって実行された、この極めて重要な
イエス・キリストの十字架の贖いを、私たちが信じる時に
私たちは救われ、罪の赦しと永遠の命を受け取ることができるのです。
【今日の聖書】
これらのことが起こったのは、
「その骨は一つも砕かれない」という聖書の言葉が実現するためであった。
ヨハネによる福音書 19章36節