今日のできごと


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2018/9/2(日)



集まって礼拝する理由

1.愛し合うため

 「なぜ、わざわざ日曜日ごとに礼拝に集まる必要があるのですか?」
 「ひとりで信じていれば、いいのではないですか?」
 「信仰というのは、個人的なものではないのですか?」と問われることがあります。

 「なぜ教会に集まって、礼拝するのでしょうか?」
 一言で言えば、「互いに愛し合いなさい」を実践するためです。
 イエスの願いは、私たちが互いに愛し合うことです。

 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。
 これがわたしの掟である。
 ヨハネによる福音書 15章12節

 愛し合うというのは、相手が必要です。ひとりではできません。
 教会で集まる理由のひとつは、これです。
 教会は互いに愛し合う、愛の共同体です。無条件の愛アガペーで愛し合うのです。

2.集まるところにイエスがいてくださる

 二人または三人がわたしの名によって集まるところには、
 わたしもその中にいるのである。」
 マタイによる福音書 18章20節

 二人または三人が、イエス・キリストの名によって集まるところに、
 イエスもその中に、おられるのです。
 集まっている所に、イエスはいるのだと言われています。

 そうであるならば、積極的に集まろうと思わないでしょうか?
 また、愛し合って心を一つにして祈る祈りに、
 神が応えて下さる、という約束もあります。

 また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、
 あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、
 わたしの天の父はそれをかなえてくださる。
 マタイによる福音書 18章19節

 ふたりが心を合わせて祈る祈りに応えて下さるということは、
 ふたりが共にいなければならない、ことになります。
 電話でもできないことはありませんが、共にいるのが一番です。

3.集まることをやめないように奨められている

 集まることをやめてはいけないとも、書かれています。

 ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、
 むしろ励まし合いましょう。
 かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、
 ますます励まし合おうではありませんか。
 ヘブライ人への手紙 10章25節

 教会は、集まることが前提にあるので、
 集まることをやめないよう、勧められているのです。
 「集まりなさい」ではなく、「集まりをやめるな」なのです。

むすび. 教会は愛を実践するところ

 むすび.1 集まって神の愛で互いに愛し合う
 教会は「愛を実践する場」です。
 神を愛する所でもありますが、隣人を愛する所なのです。
 「ますます励まし合おうではありませんか。」とありますが

 励まし合うことは、愛することに他なりません。
 そして愛する相手は、そのほとんどが信仰を同じくするクリスチャンです。
 神の愛を知り、神の愛を受け入れ、赦しを受け取ったクリスチャンなのです。

 ですから、神から頂く愛によって、愛し合うことができます。
 神を愛し、隣人を愛するのは、全生活で行うことではありますが
 心を合わせて神を礼拝し、集まって互いに仕え合うことは

 毎日の、個人的な日常生活の中ではできません。
 教会で集まることが、必要なのです。

 むすび.2 礼拝も奉仕も献金も伝道も愛の実践
 ・礼拝は、神を愛して神のために自分をささげる行動です。
 ・奉仕は、隣人を愛して隣人のために自分をささげる行動です。
 ・献金は、神を愛して、神のために自分の持っているものをささげる行為です。

 献金は、最終的には、神の教会のみんなのためか、
 まだキリストを知らない人のためか
 牧師や宣教師のために使われることになります。

 隣人を愛する献げ物になるわけです。
 神を愛することと、隣人を愛することは切り離せません。
 そういう、「私は隣人を愛します」という思いで、教会に行くのです。

 【今日の聖書】
 わたしも言っておく。
 あなたはペトロ。
 わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。
 陰府の力もこれに対抗できない。
 マタイによる福音書 16章18節


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