今日のできごと


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2019/7/5(金)

 

オールマイティな人はどこにもいない

1.オールマイティなのは神だけ

 いろんなことができる、多芸な人はおられます。
 楽器で言えば、ドラムもベースもギターもキーボードもできてしまう人がいます。
 言語で言えば、5か国語を操ってしまう人もいます。

 私の父は働いていた時、23か国以上に出張し、
 5か国語を駆使して、仕事をしていました。
 海外出張の連続で、家にいないことが多かったことを思い出します。

 しかし、何でも完全にできてしまう完璧な人などどこにもいません。
 オールマイティな人など、どこにもいないのです。
 オールマイティという修飾語が使えるのは、神のみです。

2.私たちは、できないことをたくさん持っている

 ですから私たちは、できないことをたくさん持っているのです。
 できないことを、互いに補い合って生きているのです。
 教会は、互いに愛し合って、それぞれが自分のできることを行うところです。

 できないことを、無理して行う所ではないのです。
 人ができているから、私もそれをしなければならないという
 そういうことではないのです。

 私ができるから、あなたもできなければならないというのでもありません。
 祈りや賛美や普段の家事などは、誰もができるべきではありますが
 みんなができなくても一向に構わないことも、たくさんあるのです。

3.全部できなくても一向に構わない

 中学校以上になると、国語、数学、英語、理科、社会、技術、家庭、体育、美術など
 広範囲に学びます。来年からは、コンピュータのプログラミングも加わるようです。
 けれども、みんながみんな全部を得意とする必要はありません。

 楽器が、弾ける人もいれば弾けない人もいていいのです。
 語学が得意な人もいれば、得意でない人もいていいのです。
 教えることが得意な人もいれば、得意でない人もいていいのです。

 料理が得意な人もいれば、不得手な人がいていいのです。
 読ませる文章を書いたり、上手にイラストをかいたり、作詞作曲したり、
 各種のスポーツが得意な人がいますが、それらはできなくても問題ないことです。

 それぞれの、得意分野は違っていて良いのです。
 たとえそれができなくても、全部できる人などどこにもいないのです。
 誰でも「わたしはそれができません」という分野を、確実に持っています。

むすび.互いに助け合い、補い合って生きてゆく

 できない所を、互いに補い合えばいいのです。
 一人の人に、すべてを求めることはしないのです。
 一人の人が、みんなやってしまうのではないのです。

 牧師が教会のすべてを、やってしまうのではありません。
 教会のメンバーみんなで、それぞれ行っていくのです。
 牧師に教会のすべての働きを行うことを、求めてはならないのです。

 オールマイティなのは、神だけです。

 【今日の聖書】
 イエスは、「人間にはできないことも、神にはできる」と言われた。
 ルカによる福音書 18章27節


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