今日のできごと


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2019/6/9(日)

 
教会の生花2’

イエスの最初の一言

1.ザアカイは、エリコの町の徴税人の頭で金持ちだった

 イエスの時代、イスラエル地方はローマ皇帝の支配下にあり
 税の徴収が行われていました。エリコの町にも徴税人がおり。
 ザアカイは、その徴税人たちの頭でした。

 イエスはエリコに入り、町を通っておられた。
 そこにザアカイという人がいた。
 この人は徴税人の頭で、金持ちであった。
 ルカによる福音書 19章1〜2節

 当時の徴税人は、不正な税の取り立てで私腹を肥やし
 人々からは、罪人と見られて蔑まれていました。
 そのザアカイが、木に登ってまでイエスを見ようとしたことが聖書に記されています。

 それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。
 そこを通り過ぎようとしておられたからである。
 ルカによる福音書 19章4節

2.イエスがザアカイに対してかけられた最初の一言がすごかった

 そのザアカイに対して、イエスがかけられた最初の一言は次のようなものでした。

 イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。
 「ザアカイ、急いで降りて来なさい。
  今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」
 ルカによる福音書 19章5節

 「ザアカイ、急いで降りて来なさい。」は、ザアカイに対する命令です。
 「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」は、ザアカイに対する要望です。
 ザアカイに対するイエスの側からの、一方的な命令と要望です。

 一見すると強制的で、図々しさすら感じられるような言葉ですが
 この言葉には、ザアカイに対する信頼がにじみ出ています。ザアカイの家に
 泊まるということは、彼を全面的に信頼していなければできないことだからです。

3.愛の溢れる最初の一言がザアカイを変えた

 イエスが、ザアカイに対してかけられた言葉は、
 「名前を呼んで受入れ、信頼して自分の身を任せる」という
 愛に基づく言葉だった、と言えるでしょう。

 このひと言葉で、ザアカイの心は開かれ変えられています。

 しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。
 「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。
  また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」
 ルカによる福音書 19章8節

 もし最初の言葉が、以下のような強制的な命令だったらどうだったでしょうか?
 「ザアカイ、急いで降りて来て、だまし取っているものを四倍にして返しなさい。」
 「ザアカイ、急いで降りて来て、財産の半分を貧しい人々に施しなさい。」


 ザアカイの心は開かれず、閉ざされたままだったのではないでしょうか?
 イエスのザアカイに対する最初の一言は、愛の溢れる言葉だったのです。
 イエスの願いはザアカイが、罪を悔改めて救われることでした。

 ザアカイが、だまし取っているものを返すことも
 財産の内から貧しい人々に施すことも、心の中では願われていたことでしょう。
 しかしかけられた言葉は、直接そのことを命じる言葉ではなく、

 次の一言だったのです。
 「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」
 この言葉によって、ザアカイは変わったのです。

むすび.人の心を変えるのは、愛の溢れる言葉

 「だまし取っていたものを返す」ことも
 「財産の内から貧しい人々に施す」ことも、
 ザアカイの自発的な思いとして、実現しています。

 イエスからは一言も、そのことには触れられていません。
 「徴税人の仕事はどうか?」「不正はしていないか?」などという
 誘導的な質問や、問いただすような質問も、一切されていないのです。

 人の心を変えるのは、人を戒める指示や命令ではなく愛の溢れる言葉なのです。
 心が変われば、おのずと行動も変わります。
 必要なのは、愛なのです。

 【今日の聖書】
 イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。
 「ザアカイ、急いで降りて来なさい。
  今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」
 ルカによる福音書 19章5節


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