今日のできごと


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2019/5/1(水)

 
アジュガ

私はもはや自分自身のものではなく神のもの

1.私たちは神のもの

 神は、イエス・キリストの十字架の血潮によって
 私たちを、贖ってくださいました。(買い戻す)
 ですから私たちは、今や神のものとされています。

 しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、
 神のものとなった民です。
 ペトロの手紙一 2章9節(前半)

 神は私たちを、ご自身の宮としてくださり、
 私たちの内に、住んでくださっているのです。
 そして私たちを、ご自身の計画の内に大きく用いようとされているのです。

 あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、
 あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。
 コリントの信徒への手紙一 6章19節(抜粋)

2.私たちは自分に対する神のみこころを知るべき

 私たちのすべきことは、何でしょうか?
 自分自身に対する、神のみこころを知ることが必要です。
 パウロの場合は、「異邦人伝道」という神のみこころを知りました。

 預言者ヨナの場合、行きたくなかったニネベ行きが神のみこころでした。
 ダマスコのアナニアという弟子の場合は、大迫害者サウロの所に行くことでした。
 ペトロの場合は、異邦人コルネリウスの所に行くことでした。

 私たちも「私に対する神のみこころ」を知るために、祈ります。
 私たちはとかく、自分のやりたいこと、好きなことをしたくなりますが、
 神のみこころは、私たちの好き嫌いとは必ずしも関係していません。

 3人とも、そこが好きだから行ったわけでも、
 そこに行きたくて行ったわけでも、ありません。
 むしろ行きたくなかったけれども、行けと言われて行ったのです。

 そして神の素晴らしいみわざを、体験することになったのです。
 神のみわざが、彼らを通して行われていったのです。
 神の栄光が、彼らを通して現されていったのです。

3.神のために自分をささげて用いて頂く

 神が用いようとされた時、それを拒まずに自分を差し出すことが必要です。
 預言者ヨナのように、神の命令を拒んでしまって反対に行ってしまうと大変です。
 私たちは海に放り込まれて、魚に飲み込まれたヨナを反面教師にします。

 アナニアはサウロの所に行き、サウロは洗礼を受け伝道者パウロになりました。
 ペトロはコルネリウスの所に行って、異邦人も救われるということを悟りました。
 それがエルサレム教会全体の、共通の認識となって異邦人伝道が受け入れられたのです。

 「神よ、どうぞ私をあなたのみこころのままに用いて下さい」という
 自分自身を神にささげる祈りが、必要です。
 自分を神にささげる時、神は私たちを大いに用いて下さるのです。

むすび.自分は神のものだという認識の元、神に自分を献げると神の栄光に!

 私たちは、イエス・キリストのあがないによって神のものとされています。
 神はご自身のものを、ご自身のみこころのままに自由に用いられるのです。
 神に自分をささげて、「神よ、どうぞ自由に私を用いて下さい」と祈るのです。

 その時神は、私たちをご自身のみむねのままに、大いに用いて下さいます。
 そして、私たちは自分の体で神の栄光を現していくことになるのです。
 私たちを通して、神の素晴らしさが現されていくのです。

 【今日の聖書】
 知らないのですか。あなたがたの体は、
 神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、
 あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。
 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。
 だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。
 コリントの信徒への手紙一 6章19〜20節


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