今日のできごと


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2019/5/2(木)

 
つつじ

一つの体の各部分は同じ働きをしていない

 肝臓とすい臓と腎臓と脾臓の働きは、それぞれ違います。
 同じように、教会のメンバー各自の働きも、異なっています。
 似通っていても、まったく同じということはありません。

 これを、文房具にたとえてみましょう。
 私が、ボールペンだったとします。
 その時、12色の色鉛筆セットの中の色鉛筆を見て

 私もその中に入りたいなあと思っても、入れません。
 赤色鉛筆と青色鉛筆と緑色鉛筆と、みんなきれいな色で
 カラフルでいいなあ、と思っても自分は入れないのです。

 色鉛筆のグループからは、仲間外れにされてしまっている感じです。
 ボールペンが、色鉛筆たちと一緒のセットになれないのは、
 色鉛筆とボールペンの役割が、違うからです。

 別に色鉛筆セットが、ボールペンを嫌っているから仲間外れなのではないのです。
 役目が違うのです。ただそれだけの理由です。
 それを羨ましがったり、ねたんだり、ひがんだりする必要はないのです。

 封筒のあて名は、色鉛筆では普通書きません。
 ボールペンなどの、ペンで書きます。(印刷でなければ)
 カラフルな絵を描くときは、色鉛筆を使いボールペンは使わないのですが

 あて名書きや書類に署名するときなどは、ボールペンが適しているのです。
 カラフルでなくていいのです。
 この時色鉛筆が、自分も使ってほしいなあと思っても使われません。

 このように、働きが違うと、用いられる場面が違ってきます。
 自分が用いられる時、ほかの人は用いられておらず、
 ほかの人が用いられている時に、自分は用いられていないということになってきます。

 ハンドベルにたとえると、わかりやすいかもしれません。
 隣のドの人が音を出しているから、レの音の私もと思って音を出してしまうと
 見事に不協和音が発生してしまいます。

 ドの音のときは、レの人は黙っていないといけないのです。
 これがキリストの体の場合も、同じなのです。
 それぞれの働きが違うので、ある人が大きく用いられている時に

 他の人は用いられておらず、休んでいる場合があるのです。
 何でもかんでも、みんなと一緒に同じことをするのではなく
 それぞれの役目を、それぞれの時に行うのです。

 ハンドベルが、自分の出番の時にきちんと音を出すように
 自分がなすべき時は、なすべき働きを忠実に行います。
 逆に、ハンドベルが出番の時でない時は、まったく音を出さないように

 ほかの人がなすべき時は、その人が働くのです。
 人がなすべきところを、自分でやってしまおうとしないことが必要なのです。
 何でもかんでも自分が関わってないと気が済まない、というのではないのです。

 自分の役割を忠実に行うこと、それが求められているのです。
 自分の役割をしないで、ほかの人がやるべきことをやろうとしないことが必要です。
 賜物が違うということを、しっかり認識する必要があるのです。

 【今日の聖書】
 というのは、わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、
 すべての部分が同じ働きをしていないように、
 わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、
 各自は互いに部分なのです。
 ローマの信徒への手紙 12章4〜5節


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