ペトロとケファは同一人物で本名はシモン
1.イエスは、アンデレの兄弟シモンをケファと呼ぶことにされた
1.1 ケファとは?
イエスは、アンデレの兄弟シモンをケファと呼ぶことにされました。
ケファというのは、アラム語で岩という意味の言葉です。
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ケファ |
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1.2 ペトロとは?
ケファは、ギリシア語でペトロ(石や小石の意味)となります。
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ペトロス |
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引用 織田昭編 新約聖書ギリシャ語小辞典 改訂第4版
1.3 イエスがペトロを呼ぶ時の音は「ケファ」だった?
ということは、イエスがペトロを呼ぶときは
「ペトロ」という音ではなく、「ケファ」という音で呼んでいた
ということになるでしょう。(もっとも日本語の発音と同じではないですが)
わたしも言っておく。あなたはペトロ。
わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。
陰府の力もこれに対抗できない。
マタイによる福音書 16章18節
この時も、イエスはペトロに対して『ケファ』と呼びかけられていたのでしょう。
2.イエスは「ヨハネの子シモン」と呼びかけられたこともあった
「ケファ」だけでなく、イエスはペトロに対して本名の、
「ヨハネの子シモン」と、呼びかけられたこともありました。
三度目にイエスは言われた。
「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」
ペトロは、イエスが三度目も、
「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。
「主よ、あなたは何もかもご存じです。
わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」
イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
ヨハネによる福音書 21章17節
なぜこの時イエスは、ペトロに対して「ケファ」ではなく
「ヨハネの子シモン」と、お呼びになったのでしょうか?
わざわざ「本名でなくケファと呼ぶことにする」と言っていたにもかかわらず
なぜこの時は「ヨハネの子シモン」と、お呼びになったのでしょうか?
「この岩の上にわたしの教会を建てる」と言われた「岩」ではなく
本名の「ヨハネの子シモン」と、お呼びになったのは一体どうしてでしょうか?
3.なぜこの時「ヨハネの子シモン」とお呼びになったのか?
3.1 ケファと呼ばれている時の状況を考えてみる
シモン・ペトロが、ケファと呼ばれたと考えられる状況は、もちろん数多くあります。
「ケファと呼ぶことにする」と言われていたのですから、
イエスがペトロを呼ばれる時は、いつでも「ケファ」と呼ばれていたことでしょう。
ですが、「ケファ」と言う言葉で呼ばれる象徴的な時だったのが
次の時だったのですです。
イエスが言われた。
「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
マタイによる福音書 16章15〜16節
ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と
イエスの前に、信仰告白をした時なのです。
わたしも言っておく。あなたはペトロ。
わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。
陰府の力もこれに対抗できない。
マタイによる福音書 16章18節
この後イエスは、ペトロに対して
「わたしも言っておく。あなたは
ペトロ(ケファ)。
わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。」と言われています。
3.2 ケファというのは教会の土台である岩という立派な名前
この時イエスが、ペトロを「ケファ」と呼ばれていたことは間違いないでしょう。
「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。」
本当に、素晴らしい約束です。12弟子の中でこう言われているのは、ペトロだけです。
「ケファ」というのは、イエスの与えて下さった新たな名前で、
教会の土台とも通じる、立派な名前です。
ペトロの、「あなたは神の子です」という信仰告白とつながっている名前なのです。
3.3 シモンは生まれながらのそのままの名前
一方「ヨハネの子シモン」というのは、生まれながらの名前です。
イエスを3度も「知らない」と言ってしまったペトロに対して、
「ヨハネの子シモン」と、呼びかけることによってイエスは、
「教会の土台となるような、力強い立派な岩」ではなく
「生まれながらの、弱く罪深いシモン(ペトロ)」あなたを、
そのまま私は受け入れるよ、というニュアンスがあったのではないでしょうか?
ただし、これは聖書には説明されていないので、単なる予測に過ぎません。
しかし、そのような愛のあふれる呼びかけだったのではないかと予測できます。
「教会の土台となる岩ケファよ」ではなく、「ヨハネから生まれたシモンよ」なのです。
むすび.イエスは挫折したものを再起させて大きく用いて下さるお方
@イエスは一旦挫折してしまったペトロを再起させた
予測が正しいかわかりませんが、イエスが一旦挫折してしまったペトロを
そのままの姿で受け入れられ、再起させておられることは事実です。
再起どころか、教会の指導者リーダーとして
まさに教会の土台となる「岩」として、お用いになられているのです。
素晴らしいイエスの愛を、ここに見ることができるのです。
挫折してしまったから、もう駄目だではないのです。
A挫折してもイエスの元に立ち返るならやり直せる
イエスの元に立ち返るなら、いくらでも立ち直らせていただけるのです。
そして、さらに大きく用いられていくのです。
挫折してしまったからと言って、絶望してはならないのです。
B挫折してしまった時にこそ信仰を持ってイエスの元に行こう
逆に言うと、聖書の中には挫折した人があふれています。
すべての人が罪人ですから、挫折しない方が珍しいのです。
問題は挫折した時にどうするかなのです。
「イエスは、挫折した私を再起させてくださる方です」と信じるかどうか
「再起させてくださるイエスの元に、もう一度行きます」という決断をするかどうか
それは、私たち自身にかかっています。
【今日の聖書】
ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、
シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。
彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、
「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」
と言った。
そして、シモンをイエスのところに連れて行った。
イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、
ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。
ヨハネによる福音書 1章40〜42節