同じ場所に居なかったばっかりに
1.トマス以外の弟子たちは復活のイエスに会って喜んだ
1.1 トマス以外の弟子たちは一緒に集まっていた
12弟子の中に、トマスという弟子がいました。
彼はなぜか、イエスが復活した週の初めの日の夕方、
他の弟子たちがいた家の中にいませんでした。
十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、
イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。
ヨハネによる福音書 20章24節
1.2 トマス以外の弟子たちは復活したイエスに会った
その日の夕方、何が起こっていたでしょうか?
その日、すなわち週の初めの日の夕方、
弟子たちはユダヤ人を恐れて、
自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。
そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、
「あなたがたに平和があるように」と言われた。
ヨハネによる福音書 20章19節
トマス以外の弟子たちが集まっていたその家の中に、
突然復活したイエスが、現れたのです。
家の戸には鍵をかけていたのですが、それをすり抜けて現れたのです。
1.3 トマス以外の弟子たちはイエスに会って喜んだ
そして、恐れていた弟子たちに対して言われました。
「あなたがたに平和があるように」
そう言って、手とわき腹とをお見せになった。
弟子たちは、主を見て喜んだ。
ヨハネによる福音書 20章20節
弟子たちはみな、イエスを見て喜んだのです。
恐れていた弟子たちの恐れは消え去り、喜びに満ち溢れました。
2.トマスは弟子たちの言うことが信じられずにひとり取り残された
2.1 トマスはイエスの復活を聞いても信じられなかった
ところがトマスだけは、そこにいませんでした。
そこで、ほかの弟子たちが、
「わたしたちは主を見た」と言うと、
トマスは言った。
「あの方の手に釘の跡を見、
この指を釘跡に入れてみなければ、
また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、
わたしは決して信じない。」
ヨハネによる福音書 20章25節
トマスはそこにいなかったので、他の弟子たちから
イエスがよみがえったと聞いても、信じられませんでした。
頑なに、自分で見て確認しなければ信じないと言ったのです。
2.2 トマスは決して信じないと断言していた
「手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、
また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、
わたしは決して信じない。」
2.3 トマスだけひとり信じられずに取り残されてしまった
トマスだけが、ひとり取り残されてしまったのです。
イエスが復活したのに、みんなと一緒にその家に居なかったばっかりに
復活のイエスに会うことができず、信じることができずにいたのです。
3.一緒にいるべき時に一緒にいないことのデメリット
3.1 一緒にいないということは恵みが共有できないということ
トマスの場合は、みんなと一緒にいたくないというような意図ではなく
たまたまそこに居なかっただけなのかもしれません。
急な用事ができて、そこに居られなかったのかもしれません。
しかしここからわかるのは、一緒にいるべき時に一緒にいないということは
みんなが素晴らしく恵まれているその時に、その恵みをひとりだけ
逃すことになってしまい兼ねない、ということなのです。
3.2 一緒に礼拝するということは恵みを共有すること
日曜日は私達は礼拝に集まりますが、もし礼拝に一緒に居なかったらどうでしょう?
その礼拝で、もし素晴らしい神の恵みが注がれたとしても、
自分一人、取り残されてしまうことになってしまうのです。
3.3 神の恵みを受け取れないということは決して小さな事ではない
単に、自分だけ楽しい思いができなかったとか、
何か美味しいものが食べられなかったというような、小さなレベルではなく
大切な霊的な恵みを受け取れなかったというような、深刻なレベルなのです。
むすび. 礼拝に共に集うことはとても重要
トマスの出来事から学ぶこと、それは一緒にいるということの大切さです。
日曜日は、何があっても一緒に集まって神を礼拝することが大事です。
共にいるということは、単に神の恵みを逃さずに、共に享受するためだけではなく、
神が命じておられる「互いに愛し合いなさい」という命令を実行するためにも、
必要なことなのです。神の恵みを共に享受しつつ、
互いに愛し合う愛の実践をするためにも、日曜日ごとの礼拝に喜んで出席するのです。
生涯、礼拝に出席し続け、共にいる幸いを体験し続けるものと
なっていたいと、そう思います。
神が与えようと計画されている恵みを、逃してはなりません。
【今日の聖書】
ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、
むしろ励まし合いましょう。
かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、
ますます励まし合おうではありませんか。
ヘブライ人への手紙 10章25節