主の憐れみ
1.神はアダムとエバに皮の衣を着せて下さった
神は、罪を犯してしまったアダムとエバに対して、
エデンの園から追い出されはしましたが
その裸を覆う、皮の衣を作って着せられました。
アダムとエバを、裸のまま放り出されたのではなく、
その裸の恥を覆う衣を着せて、エデンの園から追い出されたのです。
ここに、罪を犯してしまったアダムとエバに対する神の憐れみが表れています。
罪を犯してしまったけれども、人に対する神の愛は継続していたのです。
人が罪を犯した結果、神の愛も途絶えてしまったのではなかったのです。
神は、ご自分に対して罪を犯してしまった罪人をも愛して下さる神なのです。
2.それ以降の人間は皆、衣を着て生活するようになった
恥を覆う衣は、アダムとエバだけに着せられました。
その後のカインとアベルなど、彼らの子孫たちは、
おそらく、アダムやエバが着物を作って着せたことでしょう。
それ以降、人は服を着て生活するようになりました。
すべての生き物で、服を着なければ生活できないのは人間だけです。
人間が服を着なければ社会生活ができないのは、これに起因するのです。
人間が、服を着ないと生活できなくなったということは、
罪を犯したことによって、心と体の性的な面が激変してしまったことを表しています
女性の出産の苦しみが増したということも、そのことを示唆しています。
元々は、出産の苦しみも今のようではなくもっと痛みも少なく、苦しいつわりもなく
レビ記15章にあるような、汚れをもたらす身体の現象もなかったことと思われます。
罪を犯してしまった結果、神に裁かれ身体が今のように変えられてしまったのです。
3.神は私たちの罪を覆うキリストという完全な衣を与えて下さった
アダムとエバが罪を犯した結果、それ以降の人間すべてが罪をもって生まれてくることに
なってしまいました。そのため、すべての人間が衣を着て生活するようになりましたが、
衣は裸は覆えても、罪までは覆うことができないのです。罪を覆う衣が必要となりました。
そのためにやがて、私たちの罪を覆うキリストという衣が、与えられることになります。
アダムの時代から、数千年を経てイエス・キリストがこの世に来られました。
そして私たちの罪を覆う、義の衣となってくださったのです。
洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、
キリストを着ているからです。
ガラテヤの信徒への手紙 3章27節
イエス・キリストが十字架にかかって血を流して下さり、
私たちの罪を赦してくださったことによって、
私たちの罪は覆われ、神の前に義とされるようになったのです。
罪を犯してしまったアダムとエバに、皮の衣を着せて下さった神は、
全人類に、罪の赦しを与え罪を覆ってくださる
イエス・キリストという衣を、与えて下さったのです。
むすび.イエス・キリストを信じることがイエスを着ること
イエス・キリストを信じる者は、一人残らず罪が赦され
イエス・キリストの十字架の血潮によって、罪が覆われて
神の前に「罪」ではなく、「義」とされているのです。
ここにこそ、罪人に対する、
神の究極の憐れみが、示されているのです。
ですから私たちは、感謝に堪えないのです。
【今日の聖書】
主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。
創世記 3章21節