一緒にいた男にも渡した
1.女が蛇に誘惑されていたその時男も一緒にいた
蛇は女を誘惑し、罪を犯させました。
女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、
目を引き付け、賢くなるように唆していた。
女は実を取って食べ、
一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。
創世記 3章6節
女は、神が食べるなと命じておられた実をとって食べました。
その次に何をしたでしょうか?
一緒にいた男にも、その実を食べるようにと渡したのです。
そして彼も食べました。
ここで驚くのは、男がこの時女と一緒にいたということです。
女が蛇に誘惑されていた時、男もそこに一緒にいたというのです。
一緒にと言う言葉は、次のような言葉です。

(イーム)
英語では「with」です。日本語では文字通り「一緒に」です。
ですから男は、紛れもなく「女が蛇に誘惑されている」その時
女と一緒にいて一部始終を目撃していた、と考えられます。
もしそうであるとしたら、どうなるでしょう。
2.一緒にいた男は女を制したり止めたりしていなかった
女が蛇に誘惑されているのを一緒にいて見ていながら、
男は、女に対して何もしていなかったということです。
それどころか、女に言われるまま、男もその実を食べてしまうのです。
本来、罪を犯すのを止めるべきところを、逆に
それに巻き込まれてしまっているのです。
なぜ、女を止めなかったのだろう?
なぜ、女が誘惑されるのを、見過ごしにしていたのだろう?
なぜ、女に渡されたからといって、躊躇せずに食べてしまったのだろう?
そんな疑問が沸き上がってきます。
男は女に言われるがままに、躊躇せずにその実を食べてしまったのです。
この時、女からも男からも「神の言葉には絶対に背いてはいけないんだ」という
そういう思いが、失われてしまっていたのです。ふたりともです。
神の言葉に従うよりも、蛇の言葉を受け入れてしまい、蛇の言葉に従ってしまったのです。
それはまた、自分も神のようになりたいというそういう動機でもありました。
3.一緒にいた男もおそらく蛇の誘惑する言葉を聞いていた
結局ふたりとも神に対して、罪を犯してしまったのです。
おそらく蛇の誘惑の言葉を、男も聞いていて、
女と同じように納得してしまっていたのではないかと思われます。
ですから女と同様、躊躇せずにその実を食べてしまったのでしょう。
もし誘惑する言葉を聞いていなかったら、
おそらく躊躇していたでしょうし、また女の行為を止めていたかもしれません。
女が男よりも先に誘惑されて、先に罪を犯しているのは事実ですが、
男も、その時一緒にいたのですから、そして止めたりしていなかったのですから
同時に罪を犯していたといっても、良いのではないでしょうか?
むすび.人ではなく神と共にいることこそ重要
「赤信号みんなで渡れば怖くない」と言う言葉がありますが
ひとりだから罪を犯しやすく、誰かが共にいれば犯しにくいということは
必ずしもあてはまらないことがわかります。
もしこの時、神と共にいたなら、おそらく罪を犯すことはなかったでしょう。
しかし女と共にいたのは神ではなく、男でした。神ではなく人でした。
人が共にいるということは、必ずしも罪から遠ざかる要因にはなり得ません。
男は女が罪を犯すのを、制することができなかったのです。
逆に女の罪に、巻き込まれてしまったのです。
神と共にいること、それこそが罪から離れる最も良い最適な方法なのです。
【今日の聖書】
終わりに、兄弟たち、喜びなさい。
完全な者になりなさい。
励まし合いなさい。
思いを一つにしなさい。
平和を保ちなさい。
そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。
コリントの信徒への手紙二 13章11節
わたしはまた、
天から別の声がこう言うのを聞いた。
「わたしの民よ、彼女から離れ去れ。
その罪に加わったり、
その災いに巻き込まれたりしないようにせよ。
ヨハネの黙示録 18章4節