主の厳しさ
1.神は罪を犯したアダムとエバに厳しい裁きを与えられた
1.1 エバに対する神の厳しい裁き
アダムとエバが罪を犯した時、神の下された裁きは非常に厳しいものでした。
エバに対しては、その体が出産の苦しみをより大きく味わうものとなされています。
エバの体は、苦しんで子を産む体に変化してしまったのです。
神は女に向かって言われた。
「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。
お前は、苦しんで子を産む。
お前は男を求め
彼はお前を支配する。」
創世記 3章16節
1.2 アダムに対する神の厳しい裁き
男に対しても、生涯食べ物を得ようと苦しむことが定められました。
今までは、エデンの園にあった木の実を自由に取って食べるだけだったのが
顔に汗を流してパンを得る生活に、激変してしまったのです。
神はアダムに向かって言われた。
「お前は女の声に従い
取って食べるなと命じた木から食べた。
お前のゆえに、土は呪われるものとなった。
お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。
お前に対して
土は茨とあざみを生えいでさせる
野の草を食べようとするお前に。
お前は顔に汗を流してパンを得る
土に返るときまで。
お前がそこから取られた土に。
塵にすぎないお前は塵に返る。」
創世記 3章17〜19節
1.3 アダムとエバの両方に対する神の厳しい裁き
さらに極めつけは、「塵に返る」ことを定められたことです。
すなわち、死が定められてしまったのです。
これは男だけでなく、女も同じです。
2.神が聖なるお方であるからこそ罪の裁きは厳しかった
非常に厳しい神の裁きを、二人が受けてしまったことがわかります。
罪に対する裁きというのは、それ程厳しいものなのです。
それは神が聖なる方であるからです。
神にとって、罪の容認は一切あり得ないのです。
神が罪を容認してしまうことは、
神が聖であることを、否定することになってしまうからです。
3.キリストの十字架の血潮による罪の赦しは偉大な恵み
ですから、イエス・キリストの十字架の血潮による罪の赦しというのが
私たちにとって、どれ程の恵みであるかということが、わかるのです。
イエス・キリストを信じる者は、その罪が一切裁かれずにすべて赦されるからです。
従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、
罪に定められることはありません。
ローマの信徒への手紙 8章1節
もしイエス・キリストの十字架がなかったら、
アダムの子孫として、罪をもって生まれてきた全人類に
救いはあり得なかったのです。全員滅びなければならなかったのです。
その点を考える時に、イエス・キリストの贖いの恵みの素晴らしさを
私たちは今一度、再確認することができます。
「神は、よくぞ我々のためにイエスをこの世に送ってくださった」と
本当に、感謝に堪えないのです。
むすび.イエス・キリストにつながりつづける
ですから私たちは、この素晴らしいイエス・キリストに、
生涯つながり続け、信頼を置き続けていくのです。
信じることそれは、神ではなく私たちの責任です。
もし私たちが、イエス・キリストから離れてしまおうものなら、
そこには、厳しい神の裁きが待つばかりです。
それはそもそも、悪魔のために備えられた恐ろしい滅びなのです。
私たちは決して、イエス・キリストから離れてはならないのです。
生涯、イエス・キリストにつながりつづけて生きていくのです。
決して、イエス・キリストから離れて、滅んでしまってはならないのです。
【今日の聖書】
わたしにつながっていない人がいれば、
枝のように外に投げ捨てられて枯れる。
そして、集められ、
火に投げ入れられて焼かれてしまう。
ヨハネによる福音書 15章6節