意図的な悪意のある質問に対する対応
1.蛇は女に神の言葉と違う内容の質問を投げかけた
蛇の誘惑の言葉の最初は、疑問文でした。
「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」
神の言葉の内容とは違う内容の、質問でした。
どのように違っているでしょうか?
神の命令は次のようなものでした。
主なる神は人に命じて言われた。
「園のすべての木から取って食べなさい。
ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。
食べると必ず死んでしまう。」
創世記 2章16〜17節
神の命じられた内容は、
『善悪の知識の木の実は、決して食べてはならないが、
その他の園のすべての木からは、取って食べても良い。』というものでした。
しかし、蛇は神が命じた内容と異なる内容の、疑問文の形で
女に質問をしかけ、女をそそのかして、その命令を破らせるのです。
主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。
蛇は女に言った。
「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」
創世記 3章1節
「園のどの木からも食べてはいけない」などとは神は言っておられません。
「園のすべての木から取って食べなさい。
ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。...」
とおっしゃっておられたのです。
蛇の質問は、神の命令とはその内容が違っていたのです。
ですから、間違いを指摘しようと、思わず反論したくなってしまうのです。
「いいえそうではありません。」と言いたくなってしまうのです。
それが蛇のもってきた「罠」だったのです。
「正しくないことを疑問文にすれば、必ず反論してくるだろう」
これが蛇の「手」だったのです。
2.蛇の策略に女はひっかかってしまった
まんまと女は引っ掛かってしまいました。
女は蛇に答えた。
「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。
でも、園の中央に生えている木の果実だけは、
食べてはいけない、触れてもいけない、
死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
創世記 3章2〜3節
女は即座に、その内容を否定した回答をしてしまったのです。
ここで、もしなぜ蛇がそんなことを問いかけて来るのか?ということを
考えたら、あるいは罠にはまることがなかったのかもしれません。
「蛇はなぜ、そのようなことを聞いてくるのだろう?
人が何を食べてよくて、何がいけないか、などということは、
蛇にはまったく関係ないはず。これは何かおかしいぞ。」と考えていたら...
しかし、無防備に答えてしまったところから、
蛇のペースに巻き込まれてしまい、結局「善悪の知識の木」の実を
取って食べてしまうことに、なってしまったのです。
女の引っ掛かってしまったのは、わざと間違った内容で問いかける疑問文です。
私達も、意図的な質問によって、相手の術中にはまってしまうことがあります。
すぐに答えることはしないで、「なぜそういうことを問いかけるのだろうか?」
と一考する余地を残しておくことが必要です。
3.意図的な質問にそのまま答えてはならなかった
イエスも、ファリサイ派の人々から、
意図的な質問によって、罠にかけられるところでした。
ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。
皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、
適っていないでしょうか。」
マタイによる福音書 22章17節
もし「適っている」と答えれば、当時皇帝は「神にして大祭司」と言われていたので
「神でもないただの人間を神としてもよいのか!」と責めたてられたことでしょう。
イエスは神に従わずに、皇帝に従う者だ!と非難されたことでしょう。
逆にもし「適っていない」と答えたら、
今度は「ローマ皇帝に反逆している」とのことで
反逆罪で訴えられることになったでしょう。
「適っている」と答えても「適っていない」と答えても
どちらでも、罠にはめることができました。
けれども、この時イエスは彼らの悪意に気付いておられました。
イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。
「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。
マタイによる福音書 22章18節
イエスは彼らの質問に対して、そのまま答えていませんでした。
「税金に納めるお金を見せなさい。」
マタイによる福音書 22章19節(抜粋)
と言われてデナリオンを持ってこさせるのです。
そして答える代わりに逆に、彼らに対して質問なさいました。
イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。
マタイによる福音書 22章20節
「これは、だれの肖像と銘か」というのが、イエスの質問です。
これに対して彼らはどう答えているでしょうか?
彼らは、「皇帝のものです」と言った。
マタイによる福音書 22章21節(前半)
「皇帝のものです」と答えているのです。
そしてイエスは続けて言われます。
すると、イエスは言われた。
「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」
マタイによる福音書 22章21節(後半)
皇帝が、自分を神だと言っていようがいまいがそんなこととは関係なく、
皇帝の物ならば皇帝に返すのだと、語られたのです。
すなわち税金を払いなさいと言うことです。
この対応には、彼らはどうすることもできませんでした。
神に従うのかローマ皇帝に従うのかと問いただしたかったのですが
税金を払うことが神に背くことではない、ということを示されたからです。
彼らはこれを聞いて驚き、
イエスをその場に残して立ち去った。
マタイによる福音書 22章22節
むすび.
私達は絶えず、攻撃にさらされています。
火の矢のように、信仰を覆すような意図的な質問が飛んでくるのです。
けれどもそれにまともに答える必要は、ありません。
その意図を見抜き、信仰をもって対処すればよいのです。
もし蛇が誘惑してきた時に、女が、
「あなたはそのような質問を、なぜするのですか?」
「私たちを神に背かせようとしているのでしょう。
あなたには関係のないことです。」と毅然としてきっぱりと断っていたとしたら
どうだったでしょうか?きっとそれ以上蛇は語ることはできなかったことでしょう。
私達は、信仰によって悪い者の放つ火の矢を止めるのです。
【今日の聖書】
なおその上に、信仰を盾として取りなさい。
それによって、
悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。
エフェソの信徒への手紙 6章16節