どのようなときにも友を
この春の受験も、もうすべて終了したことと思います。
受験で、友人と自分の両方とも合格すれば問題ないのですが
どちらか一方が合格して、どちらかが落ちた場合、
自分は落ちているのに、合格した友人と共に喜んだり、
自分は合格しているのに、落ちた友人と共に悲しんだりするのは、至難の業です。
普通は、そういうことはできないのではないでしょうか?
4人の仲間で、3人が合格し自分だけが落ちた場合
3人が大学の単位の話をしていても、自分だけ入っていけません。
大学入学後の具体的な話は、自分にとってひとつもできない話しなのです。
そんな中で、3人の合格を4人そろって喜ぶというのは難しいでしょう。
けれども、もし本当に友を愛するのであれば、
たとえ自分が落ちていたとしても、友の合格を喜び祝います。
どのようなときにも、友を愛することが求められています。
難しいことではあっても、神に祈り求めていくと知恵と力が与えられます。
神は、人にはできないことも、力を与えてできるようにしてくださるのです。
できるようになったその時、自分を通して神の栄光が現わされるのです。
神は、とても愛せない状況の自分に、
愛する力を与えて下さる素晴らしいお方だ、とわかるようになるのです。
本当に友を愛するというのは、そういうことなのです。
自分の状況によらずに、いつでも友の状況を喜び悲しむのです。
どのようなときにも友を愛すれば、苦難のときの兄弟となっていくのです。
【今日の聖書】
どのようなときにも、友を愛すれば
苦難のときの兄弟が生まれる。
箴言 17章17節