終わりの時の状況
テモテへの手紙二には、この世の終わりの時代に
どのような状況になるかが、記されています。
そのとき、人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き、
高慢になり、神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなります。
また、情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になり、
善を好まず、人を裏切り、軽率になり、思い上がり、神よりも快楽を愛し、
信心を装いながら、その実、信心の力を否定するようになります。
こういう人々を避けなさい。
テモテへの手紙二 3章2〜5節
No. |
内容 |
織田昭「新約聖書ギリシャ語小辞典」改訂第4版参考 |
1 |
自分自身を愛する |
自分だけを愛する,利己的な |
2 |
金銭を愛する |
金銭欲の強い,金銭に執着する,欲の深い |
3 |
ほらをふく |
「浮浪者」をさす語。転じて「かたり」「ペテン師」
「尊大ぶる者」「横柄な者」
「大言壮語する者(口語訳,新改訳)」 |
4 |
高慢になる |
自分を他人以上に見せる,高慢な,ごう慢な,
横柄な,尊大な,不遜な |
5 |
神をあざける |
@[形容詞]ののしりの,悪罵の,悪口の
[名詞]人を誹謗するような人,そしる人.
A(神または聖なるものへの罵りの形で)冒涜的な |
6 |
両親に従わない |
両親に、不従順な,服従しない,逆らう |
7 |
恩知らずになる |
感謝しない,恩知らずの |
8 |
神を畏れない |
不敬虔な,神聖をけがす |
9 |
情けを知らなくなる |
自然の情愛を欠く,愛情のない,無情な |
10 |
和解しない |
和睦しがたい,和解不能の,和解しにくい,執念深い |
11 |
中傷する |
@中傷者,誹謗者,
讒言(ざんげん)する者,悪意の告発者
A悪魔
神のことを人に誹謗し,人のことを神に告訴する
者として,LXX中ではサタンの訳語として使われた |
12 |
節度がない |
無節制な,節度のない,放縦な |
13 |
残忍になる |
飼い慣らされてない,制御されない,粗野な,
残忍な,粗暴な |
14 |
善を好まない |
善を好まない |
15 |
人を裏切る |
(敵に)売る者,裏切者 |
16 |
軽率になる |
軽率な,衝動的に行動する,無分別な |
17 |
思い上がる |
のぼせ上がって(思い上がって)いる,
偉くなっている,高慢である,高慢にする |
18 |
神よりも快楽を愛する |
神よりも快楽を愛する,享楽的な |
19 |
信心を装いながらその実、
信心の力を否定するようになる |
神を敬うという外形(輪郭)をもっているが その力を否定する |
No. |
新共同訳 |
口語訳 |
1 |
自分自身を愛する |
自分を愛する者 |
2 |
金銭を愛する |
金を愛する者 |
3 |
ほらをふく |
大言壮語する者 |
4 |
高慢になる |
高慢な者 |
5 |
神をあざける |
神をそしる者 |
6 |
両親に従わない |
親に逆らう者 |
7 |
恩知らずになる |
恩を知らぬ者 |
8 |
神を畏れない |
神聖を汚す者 |
9 |
情けを知らなくなる |
無情な者 |
10 |
和解しない |
融和しない者 |
11 |
中傷する |
そしる者 |
12 |
節度がない |
無節制な者 |
13 |
残忍になる |
粗暴な者 |
14 |
善を好まない |
善を好まない者 |
15 |
人を裏切る |
裏切り者 |
16 |
軽率になる |
乱暴者 |
17 |
思い上がる |
高言をする者 |
18 |
神よりも快楽を愛する |
神よりも快楽を愛する者 |
19 |
信心を装いながらその実、
信心の力を否定するようになる |
信心深い様子をしながら その実を捨てる者 |
一言で言えば、「神を畏れない」ということになるでしょう。
神を畏れないので、神の権威を認めず、
自分の上にある、親の権威をはじめとして各種の権威も疎んじて、
自己中心になり、思い上がって傲慢になるという図式です。
神を畏れないので神を愛さず、逆に神をあざけり神聖を汚し、
神に愛されている隣人を愛さずに、逆に無情になり和解せず中傷し、
お金と快楽だけを愛するという、極めて自己中心的な人々が増えるのです。
それが社会全体、さらには教会内部にも及ぶということです。
教会の中で、信仰をもっているようなふりをしてその実、自己中心になって
信仰を否定しにかかるという、偽物の信仰者が現れるということです。
そのような、神を畏れず信仰を否定する人々の集まりは、
それはもはや、キリストの体である教会ではあり得ません。
教会の逆ということになります。教会を内部から破壊してしまうのです。
ですからパウロは、そのような人々を避けなさいと命じているのです。
教会は、いついかなる時でも神を畏れて進んで行くのです。
神の権威を畏れない自己中心が、入り込まないように気を付けていくのです。
畑の雑草をそのままにしておくと、畑は雑草に占領されてしまい
もはや畑とは呼べなくなってしまいます。
それと同じなのです。
【今日の聖書】
信心を装いながら、その実、
信心の力を否定するようになります。
こういう人々を避けなさい。
テモテへの手紙二 3章5節