今日のできごと


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2019/3/22(金)

 
八重椿

唾で土をこねて

 イエスは、生まれつき目の見えない人を癒されました。

 さて、イエスは通りすがりに、
 生まれつき目の見えない人を見かけられた。
 ヨハネによる福音書 9章1節

 この人は、生まれてから一度も目が見えたことがありませんでした。
 けれども、イエスによって完全に見えるようになっています。
 この人は、どのようにしていやされたでしょうか?

1.イエスがとられた不思議な方法

 1.1 まずイエスは、地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目に塗られました。

 こう言ってから、イエスは地面に唾をし、
 唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。
 ヨハネによる福音書 9章6節

 1.2 続いて、シロアムの池に行って洗ってきなさいと言われます。

 そして、
 「シロアム―『遣わされた者』という意味―の池に行って洗いなさい」
 と言われた。
 ヨハネによる福音書 9章7節(前半)

 1.3 彼は、言われた通りシロアムの池に行って洗いました。

 そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。
 ヨハネによる福音書 9章7節

 そして彼は、目が見えるようになって帰って来たのです。

 実に不思議なやり方です。
 その場で癒されず、わざわざ泥を目に塗って池で洗わせるという
 一見すると、回りくどい方法を取られています。

2.見えなかった人にとっての意味

 目の見えなかった人にとって、これはどんな意味があったでしょうか?

 2.1 不信仰を捨てる

 まず「目についた土を池の水で洗っただけで治るわけがない」という思いを
 捨てる必要がありました。「ばかばかしい、そんなんで治るはずがない」

 2.2 信じて実行に移す

 次に、イエスの言われた言葉を受け入れて、
 その言葉通りの行動をとる必要がありました。信仰に基づいた行動が必要でした。
 すなわち、シロアムの池に、ひとりで歩いて行かなければなりませんでした。

 2.3 自分勝手に変えない

 最後に、イエスの言われた言葉の通りシロアムの池で目を洗う必要がありました。
 やっぱり池の水より井戸水の方が良いかと、自分勝手に変えてはなりませんでした。
 それは、シロアムの池の水でなければならなかったのです。

3.イエスは彼の信仰を求められていた

 シロアムの池に行って洗うという命令は、一見すると回りくどい命令に思えます。
 そんな面倒なことをしなくても、その場ですぐに治してあげたら良かったのに
 と思えてしまうような命令でした。

 けれども一見すると回りくどいやり方ではありましたが、
 それには、彼の信仰が必要となっていたのです。
 その命令は、彼の信仰を求める命令でもあったのです。

 「イエスの言葉をばかにせずに、信じられるか?」
 「イエスの言葉を信じて、その言葉通りに実行に移せるか?」
 「イエスの言葉よりも、自分の考えを優先してしまわないか?」

 そこを、イエスは求められていたのです。
 彼は見事にそれに応え、信仰をもってそれを行動に移し
 忠実にイエスの言葉通りにおこなって、癒されたのです。

むすび.イエスの言葉を忠実に実行に移す者となろう

 私たちも、イエスの言葉を信じて
 その言葉を、忠実に実行に移す者となっていたいと願います。
 自分の思いよりも、イエスの言葉を重んじていきましょう。

 【今日の聖書】
 こう言ってから、イエスは地面に唾をし、
 唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。そして、
 「シロアム―『遣わされた者』という意味―の池に行って洗いなさい」
 と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。
 ヨハネによる福音書 9章6〜7節


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