「あなたは良い人ですね」は本来あり得ない
1.私は良い人ではない
「あなたは本当に良い人ですね」と言われることがあるかもしれません。
けれども、そう言われたらどう感じるでしょうか?
そのまま素直に、受け取れるでしょうか?おそらく受け取れないでしょう。
「この人は、本当の私を知らないんだな」
「私の一面しか見てないな」
「本当の私を知ったら、そんなこと絶対に言わないだろうな」と思うはずです。
2.良い人と言われたいなら演じるしかない
もし「良い人ですね」と言われ続けたいと思ったら
良い人を、演じ続けなければならなくなります。
良い人ではない部分を、隠し続けて生きて行かなければならなくなります。
これが偽善と言われるものです。
本当は良い人でも何でもないのに、良い人の振りをするわけです。
私たちは、誰もが罪人なので「良い人」ではあり得ません。
3.クリスチャンは良い人なのではない
クリスチャンというのは、良い人なのではないのです。
ただ、イエス・キリストの十字架の血潮によって罪が赦されているだけです。
クリスチャンは、良い人を演じて生きているのではないのです。
悪い人間だけれども、神に愛されて赦されているということを
心の底から、全面的に信じているだけなのです。
だから、完璧に罪を犯さずに生きているわけではありません。
4.完璧に良い生き方をするのは不可能
まったく罪を犯さずに生きていくことなど、到底不可能なのです。
もし完璧に罪を犯さず、まったく正しい生き方で生きようとするなら
どこかで破綻するはずです。そしてその反動が来てしまうことでしょう。
完璧な生き方は、人間にはできません。
完璧を狙うのではなく、罪を犯してもすぐに悔い改めて神に立ち返る
そういう生き方をしてゆくのです。
そしてできる限り、故意の罪を犯さないように心がけていくのです。
神に祈り求め、罪から離れることができるように願うのです。
そうすると、神からの大きな助けを頂いて罪から離れていくことができます。
むすび.良い人ではない私が神に赦されている
クリスチャンになったら、模範的な良い人間になるのではありません。
ただ神の憐れみによって罪が赦されて、神の前に正しいとされるだけなのです。
模範的な良い人間になることは、別の問題です。
私たちは「あなたは本当に良い人ですね」と、
言うこともできなければ、言われることもできないはずなのです。
残念ながら、すべての人が罪人であって例外はないのです。
その罪をゆるすためにイエス・キリストが、この世に来てくださったのです。
ベツレヘムで生まれて下さったのです。
良い人ではない私たちが、イエスによって赦されているのです。
【今日の聖書】
次のように書いてあるとおりです。
「正しい者はいない。一人もいない。
悟る者もなく、神を探し求める者もいない。
皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。
善を行う者はいない。ただの一人もいない。
彼らののどは開いた墓のようであり、
彼らは舌で人を欺き、
その唇には蝮の毒がある。
口は、呪いと苦味で満ち、足は血を流すのに速く、
その道には破壊と悲惨がある。
彼らは平和の道を知らない。
彼らの目には神への畏れがない。」
ローマの信徒への手紙 3章10〜18節