今日のできごと


 前日  翌日  今月  去年の今頃  トップへ  更新
2018/12/24(月)

 
武家屋敷に続く道

氷山の一角

1.イエスは、徴税人や罪人と言われていたような人を招かれた

 イエスは、徴税人や罪人と言われていたような人と一緒に
 食事をされていました。

 ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、
 「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」
 と言った。
 マタイによる福音書 9章11節

 なぜイエスは、徴税人や罪人と言われていたような人を招かれたのでしょうか?
 それは、罪を赦すために来られたからなのです。
 正しい人を招くためでなく、罪人を招くためだったのです。

 わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、
 罪人を招いて悔い改めさせるためである。」
 ルカによる福音書 5章32節

 そうです、まさに罪人を招いて悔い改めさせるために
 徴税人や罪人と言われていたような人を招かれたのです。

2.イエスはファリサイ派の人々や律法学者たちを招かれていなかったのか?

 それでは、ファリサイ派の人々や律法学者たちはどうだったのでしょうか?
 彼らは、招かれていなかったのでしょうか?
 イエスは、不公平だったのでしょうか?

 彼らも招かれていたのです。

 しかし彼らは、自分を罪人だと認識していなかったのです。
 自分は正しい人間だと勘違いしていたため、
 罪人を招いて下さったイエスの所に、行けなかったのです。

 イエスはそのことに気づかせようと、次のように語っておられます。

 ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。
 『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、
  また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。
 ルカによる福音書 18章11節

 実は、ファリサイ派の人々や律法学者たちも、
 徴税人や罪人と言われていたような人と同様、罪人だったのです。
 ただ、あからさまに罪の行為が現れていなかっただけだったのです。

 自分は正しい人間だとうぬぼれて、
 他人を見下している人々に対しても、
 イエスは次のたとえを話された。
 ルカによる福音書 18章9節

 彼らは、自分は正しい人間だとうぬぼれていただけでした。
 内面は、全く同じ罪人だったのです。
 にもかかわらず、自分は正しいんだと言って他人を見下していたのです。

3.表面的に正しそうに見えていたとしてもみんな同じ罪人だった

 人はうわべを見てしまいますが、神は内面をことごとく見ておられます。

 しかし、主はサムエルに言われた。
 「容姿や背の高さに目を向けるな。
  わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。
  人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」
 サムエル記上 16章7節

 人は、外側に出ている部分だけで判断してしまいやすいものです。
 徴税人や罪人と言われていたような人は、外側に多く表れていたため
 人々は彼らは罪人だと認識していました。

 けれどもファリサイ派の人々や律法学者たちは、外側に現れず隠れていたため
 「彼らは良い人たちだ、正しい人たちだ」と、誤解されていたのです。
 それは誤解であって、彼らも正に罪人の一人だったのです。

 ちょうど氷山の一角のようです。
 氷山の一角の大きさが小さくても、その下に隠されている氷の塊は
 ものすごい大きさのように、外側に見えている罪は小さくても

 実はその奥底に潜む罪は、巨大だったわけです。
 それは、ファリサイ派の人々や律法学者たちに限らず、
 皆同じなのです。ヨセフもマリアもペトロもヨハネも同じです。

むすび.罪を認めてキリストによる赦しを求めなさい

 イエス・キリストは、罪人を招いて悔い改めさせるために来られました。
 その対象は、世界中の全人類に及びます。
 罪人ではない人など、どこにもいないのです。

 イエスは、徴税人や罪人と言われていたような人だけを
 えこひいきされていたのではないのです。
 自分が罪人と認識している人の方が、いち早くイエスの赦しをいただけたのです。

 私たちに必要なこと、それは何でしょうか?
 自分が罪人であることに、いち早く気づくことです。
 そして自分は正しい人間だと言う思いを、いち早く捨て去ることなのです。

 そこから、罪の赦しを求めることが始まります。
 そしてイエス・キリストは、見事にその罪の赦しを与えて下さるのです。
 十字架で流されたイエスの血潮によって、信じる人のすべての罪は

 完全に赦されるのです。
 これを信じる事、これが人生で最も大切なことなのです。
 クリスマスでキリストの誕生をお祝いしますが、

 キリストの誕生を祝うことよりもむしろ、
 イエス・キリストの十字架の血潮による罪の赦しを、
 真剣に求めることの方が、さらに重要なことなのです。

 【今日の聖書】
 イエスはこれを聞いて言われた。
 「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
  わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、
  罪人を招くためである。」
 マルコによる福音書 2章17節


 前日  翌日  今月  去年の今頃  トップへ  更新