ラザロの復活
ラザロは一度死にましたが、イエスによって生き返らされました。
墓に葬られて4日経ってから、生き返らされました。
さて、イエスが行って御覧になると、
ラザロは墓に葬られて既に四日もたっていた。
ヨハネによる福音書 11章17節
生き返ったラザロは、そこにいるだけで
力あるわざを行ったイエスの、証人となったのです。
何もしなくても、ただそこに生きているだけで十分だったのです。
私たちも同じです。
私が何かを一生懸命したから、主の証人になるわけではなく
私が今ここで、主を信じて生きていること自体が証しになるのです。
罪の赦しを感謝し、永遠の命の希望をもって喜びに輝いて生きている
それだけで、十分なのです。何も自分の力でする必要はありません。
私たちのすべきことは何でしょうか?
神の愛をしっかりと受け入れることです。
神が与えて下さったイエス・キリストによる、罪の赦しの素晴らしさと、
神が与えて下さった永遠の命の素晴らしさを、正しく認識することです。
信仰を持って、それらを正しく認識しさえすればよいのです。
そして、いつでもそれを説明できるように備えておけば良いのです。
心の中でキリストを主とあがめなさい。
あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、
いつでも弁明できるように備えていなさい。
ペトロの手紙一 3章15節
ラザロは生き返って、そこで再び普段の生活に戻ったのです。
ただそれだけで、大勢の人がイエスを信じるようになりました。
多くのユダヤ人がラザロのことで離れて行って、
イエスを信じるようになったからである。
ヨハネによる福音書 12章11節
生き返らせたのはイエスで、ラザロは何もしていないのです。
ラザロは、生き返るように努力したわけでも何でもありません。
ラザロの復活は、純粋に神の力によるものであって人の力ではありません。
私たちは、土の器に過ぎません。
そこに、最高級のダイヤモンドを入れているのと同じです。
素晴らしいのはダイヤモンドであって、器の方ではないのです。
土の器が、ダイヤモンドに変わる必要はないのです。
そのままでいいのです。ただ、しっかりとダイヤモンドを内側に入れておく
それが大事になってくるのです。
【今日の聖書】
こう言ってから、
「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。
すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。
顔は覆いで包まれていた。
イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。
ヨハネによる福音書 11章43〜44節