飲酒運転
1.3年以下の懲役、または50万円以下の罰金
水を飲みながら、車を運転しても何の罰則もありません。
お茶やコーヒーを飲みながら運転しても、同様です。
しかし、お酒を飲みながら運転したら飲酒運転で捕まります。
お酒は、明らかに他の飲み物とは異なる飲み物です。
運転をできなくさせる程、身体に影響を与えます。
運転に限らず、その他日常生活のすべての面で影響を及ぼします。
仕事に行く前に、酒を飲んでいく人はいないでしょう。
試験を受ける時に、酒を飲んだりもしないでしょう。
酒は判断力に、大きな影響を及ぼしてしまうのです。
車の運転の場合、呼気1リットル中のアルコール量が
0.15mg以上0.25mg未満の場合は、90日間の免許停止になります。
それ以上だと免許取り消しで、2年間は免許が取れなくなります。
更に加えて、刑事罰も課せられます。
3年以下の懲役、または50万円以下の罰金のいずれかです。
とても厳しいのです。ということは、それだけ危険だということです。
ここからも、飲酒を軽く考えてはならないことが、わかります。
酒は、快楽を与えると同時に、人の体を正常な状態ではなくしてしまうのです。
飲酒は一時的な快楽を与えますが、物事の根本的な解決は与えてくれません。
多くの場合、一杯飲むとやめにくくなります。結果として大酒になりがちです。
従って、忍耐力の形成途中にある、成長段階にある未成年者にとっては極めて危険です。
そのため、未成年者は飲むことができないように、法律で定められています。
2.聖書に見る酒の危険性
聖書には、飲酒の危険性が記されています。
酒は不遜、強い酒は騒ぎ。
酔う者が知恵を得ることはない。
箴言 20章1節
この不遜という言葉は、あざけるという意味をもちます。
ですから酒は、「人をあざける者」とするということになります。
人は愛すべきであって、あざけってはならないのです。
さらに、騒ぎと言う言葉は、
「荒ら荒らしくする、吠えたける、大声で叫ぶ」という意味をもちます。
酒は人の自制心を麻痺させ、大声で騒がせるようにさせます。
また、大酒は私たちの身を持ち崩させるのです。
すなわち、人生を破壊していきます。
酒に財産をつぎ込み、経済的に破綻してしまうのです。
大酒を飲むな、身を持ち崩すな。
大酒を飲み、身を持ち崩す者は貧乏になり
惰眠をむさぼる者はぼろをまとう。
箴言 23章20〜21節
3.危険をはじめから遠ざける
どうすればよいでしょうか?
初めから、そもそも飲まなければ良いのです。
酒を飲まない人生を送っている人たちは、飲みたいとは思わないのです。
どんなに美味しそうにビールを飲んでいる広告を見ても、飲みたいとは思いません。
美味しそうな料理の広告と比べたら、それはただの紙切れ同然なのです。
酒の自販機も電柱と同じです。何ら興味関心の的にならないのです。
「お酒は二十歳になってから」と言われていますが、
「二十歳になっても酒は飲まない」という選択肢があるのです。
実は、「はじめから飲まない」これが一番なのです。
飲まないでいるなら、いついかなる時でも車を運転することができます。
突然車を運転しなければならなくなったとしても、大丈夫です。
けれども飲んでいる時に、そうなったらどうでしょうか?運転はできません。
泥酔、酒宴、暴飲は、決して主に喜ばれることではないのです。
飲酒は、単に判断力を鈍らせるだけでなく、暴力や好色ともつながっています。
欲望の制御が効かなくなるのです。そして浪費と困窮にも、つながっているのです。
かつてあなたがたは、異邦人が好むようなことを行い、
好色、情欲、泥酔、酒宴、暴飲、律法で禁じられている偶像礼拝などに
ふけっていたのですが、もうそれで十分です。
ペトロの手紙一 4章3節
むすび.主の力による酒からの解放
主に従いたいけれども、酒がやめられないというのであれば
酒から離れられるように、真剣な祈りが必要となります。
人にはできないことも、主にはできます。神にできないことはないのです。
例年、年末年始はごく当たり前に酒を飲むという文化が蔓延していますが
だからといって、必ずみんなで酒を飲まなければならないというのではありません。
考え方の転換が必要になってきます。忘年会、新年会は必須行事ではないのです。
「酒を飲まずに過ごす」という、選択肢も当然あるのです
飲んで騒いで楽しいように思えますが、それは幸せを招いているのではなく
実の所、破滅への道を進んでいるのです。
飲酒が、結局何をもたらすのか、
飲酒した結果、過去に人々がどんなことを起こしてきたのかを学んで、
良く考えて、行動することが必要となってきます。
飲酒は時として、命にかかわることもあります。
飲酒運転が危険なだけでなく、大量に飲むことだけでも危険です。
急性アルコール中毒で急死してしまうこともあるのです。
今こそ、主に力と解放を祈り求めて、
飲酒の習慣から、抜け出す時です。酒によっては得られない
本当の平安と喜びをもたらす、聖霊によって生きていくのです。
【今日の聖書】
酒に酔いしれてはなりません。
それは身を持ち崩すもとです。
むしろ、霊に満たされ、
詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、
主に向かって心からほめ歌いなさい。
エフェソの信徒への手紙 5章18〜19節