あなたの若い日に
1.生きている意義は何か?
ある博物館に行ったところ、そこの質問コーナーに
次のような質問がありました。
「わたしの生きている意義は何ですか?」
文字の感じから、小学生か中学生からの質問のようでしたが、
その質問の回答は、「哲学でそういうことを勉強します」
という意味合いのものでした。直接的な答えには、なっていませんでした。
人間はなぜ生まれ、なぜ生きて、なぜ死んでいくのか?
人生における最も大切な質問に、生まれながらの私たちは
答えを持たずに生きているのです。
2.神に生かされて今生きている
しかし、神は聖書からその答えを明確に示してくださってます。
神は言われた。
「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。
そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、
地を這うものすべてを支配させよう。」
神は御自分にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。
男と女に創造された。
創世記 1章26〜27節
なぜ生まれたのか?それは、神が造って下さったからです。
なぜ生きているのか?それは、神が生かしてくださっているからです。
それでは、一体なぜ死んでいくのでしょうか?
3.罪をもっているから死ななければならなくなっている
私たちは、なぜ死んでいくのでしょうか?
それは、人間が罪をもって生まれているからです。
それは、最初の人間が罪を犯してしまった結果なのです。
女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、
目を引き付け、賢くなるように唆していた。
女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。
創世記 3章6節
人間が罪を犯した結果、死ぬようになってしまったのです。
お前は顔に汗を流してパンを得る
土に返るときまで。
お前がそこから取られた土に。
塵にすぎないお前は塵に返る。」
創世記 3章19節
せっかく神に造られていたにもかかわらず、
最初の人間が罪を犯した結果、すべての人が罪をもって生まれてくるように
なってしまったのです。生まれつき、神に背く心をもって生まれついているのです。
4.イエス・キリストによる救いが提供されている
それでは、どうしたら良いのでしょうか?
それは、その罪をゆるして下さるイエス・キリストを信じれば良いのです。
十字架にかかって私の罪の身代わりに、血を流して死んで下さったイエス・キリストを、
私の主として、迎え入れれば良いのです。
イエス・キリストを、自分の心でしっかりと信じることです。
信仰をもって、次のように祈るのです。
「私は神に背いている罪人です。けれどもこの罪人の私のために、
キリストが、十字架で血潮を流して死んで下さったことを信じます。
どうぞ、イエス・キリストの十字架の血によって赦して下さい。」
イエス・キリストの十字架の血潮によって、すべての罪が赦されます。
赦されたら、神との親しい交わりが回復するのです。
イエスの名によって祈る祈りに、神は応えて下さいます。
むすび.罪の赦しを得た後に神と共に歩む本来的な人生が始まる
実際にどれほど神が、私たちひとりひとりを愛しておられるか
祈りの中で体験していくことができます。神はその独り子
イエス・キリストを、私たちに与えて下さるほど愛して下さっているのです。
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
ヨハネによる福音書 3章16節
わたしの生きている意義は何ですか?その答えそれは、
「私を造ってくださり、私を愛してくださり、私を生かして下さっておられる
神を愛し、それと同時に、神に造られているすべての人を愛して
神の素晴らしさを、表して生きてゆくこと」
そこにこそ、あるのです。
一言で言えば、「神の栄光を表して生きること」こそが人生の目的なのです。
神の栄光を表すためには当然、神に従い、神の御心を行っていくことが必要不可欠です。
そして、あなたの若い日にこそ、この生き方を始めるべきなのです。
もちろん人生のどの時期であっても、信じれば救われますが
より早く、一日でも早く本来的な生き方を回復させることが大切です。
【今日の聖書】
青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。
苦しみの日々が来ないうちに。
「年を重ねることに喜びはない」と
言う年齢にならないうちに。
コヘレトの言葉 12章1節