今日のできごと


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2019/10/20(日)

 

洗足

 十字架にかけられる前の、過越しの食事の席で
 イエスはたらいに水を汲み、弟子たちの足を洗っています。
 弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふかれたのです。

 それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、
 腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。
 ヨハネによる福音書 13章5節

 イスカリオテのユダも、この時はまだ席についていたので
 12人の足を洗ったことになります。
 ひとりで、そこにいた12人全員の足を洗われたのです。

 「誰か、ちょっと手を貸してくれ!」とは言われていません。
 そこにいた弟子たちは、誰一人手伝っていません。
 イエスがただ黙々と、ひとりで洗っておられたのです。

 「イエス様、手伝います!次の人の足は私が洗います!」
 「イエス様、足を拭くのは私がやります!」
 などと言って、手伝う人はひとりもいなかったのです。

 仕えることの本質を、ここに見ることができます。
 ひとりなのです。
 誰にも手伝いを強要せず、ひとりでやっているのです。

   手伝いの強制や、要請は何一つされていないのです。
 誰も手伝ってくれなくても、黙々と一人で行う。
 これが本来の、仕える姿なのです。

 ここが、マルタの言葉との大きな違いです。

 マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、
 そばに近寄って言った。
 「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、
  何ともお思いになりませんか。
  手伝ってくれるようにおっしゃってください。」
 ルカによる福音書 10章40節

 「手伝ってくれるようにおっしゃってください。」
 このような、手伝いの強要は
 その時点で、自分の欲求を人に押し付けることになってしまうのです。

 相手の意志をどこまでも尊重されたのが、イエスです。
 そこに、真実な愛をみるのです。愛は、待つのです。どこまでも待つのです。
 愛は、決して意志の領域にまで踏み込まないのです。

 忍耐が必要なのです。

 【今日の聖書】
 ところで、主であり、
 師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、
 あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
 ヨハネによる福音書 13章14節


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