レールから外れたら走れない
松江と出雲を結ぶ、一畑電車があります。
明治44年(1911年)に出雲今市駅(現在の出雲駅)から、
一畑薬師を結ぶ路線として計画され
大正3年(1914年)に運行が開始されています。
出雲今市から出雲大社には、国鉄が路線を計画していたため、
出雲今市から一畑寺に人を運ぶ目的で、計画されたそうです。
そのため、一畑寺が資本金の25%を負担していたそうです。
なるほど出雲と松江を結ぶ一畑電車の名称が、なぜ「一畑」なのか
これで、その理由がわかりました。「一畑薬師」の資本が1/4も入っていたのです。
現在の一畑百貨店も、この鉄道会社によって作られたものです。
戦後、車社会の到来によって、幾多の経営上の困難がやって来たようですが、
それを乗り越え、現在も毎日運行されています。
一畑電車に限らず、鉄道の列車は毎日のように走っています。
一畑電車は私鉄ではありますが、オール電化されています。
レールの上には、架線が張られています。
電車にとって最も大切なことは、脱線しないことです。
レールの上に正常に載っていなければ、電車は走れません。
レールの上だからこそ、時速80キロ以上のスピードが出せるのです。
私たちも同じです。私たちのレールは、神の元にいることです。
イエス・キリストを信じて、罪の赦しをいただいて神の元にいること
このことによって、本来の人間の姿として生きていけるのです。
もし信じないで罪のまま神の元から離れているなら、レールから外れた状態で
電車がレールから外れたら走れないように、人間の本来的な生き方はできないのです。
イエス・キリストを信じることは、ちょうど電車がレールの上に載せられた
そんな状況と似ています。そこから、電車としての本来的な働きが始まるのです。
いくら高性能な車両として作られたとしても、レールの上に載っていなければ
走ることはおろか、そこに停止していることすら危ういのです。
イエス・キリストを信じて、罪の赦しをいただき、神の元に立ち返ること
すべてはそこから始まるのです。
それがなければ、何をやっても最後は滅びなのです。
【今日の聖書】
僕は言った。
『弟さんが帰って来られました。
無事な姿で迎えたというので、
お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』
ルカによる福音書 15章27節