望みえないのに信じたアブラハム
アブラハムは、神に子孫が与えられると約束されていました。
しかし、年齢は100歳になっていました。
既に彼の体は衰えており、
そして妻サラの体も子を宿せないと知りながらも、
彼の信仰は、弱まりはしなかったのです。
彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、
むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。
神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、
確信していたのです。
だからまた、それが彼の義と認められたわけです。
アブラハムのように、イエス・キリストを信じる私たちも、
信じるだけで、罪人なのに赦されて、義と認められるのです。
【今日の聖書】
彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、
「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、
多くの民の父となりました。
そのころ彼は、およそ百歳になっていて、
既に自分の体が衰えており、
そして妻サラの体も子を宿せないと知りながらも、
その信仰が弱まりはしませんでした。
彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、
むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。
神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、
確信していたのです。
だからまた、それが彼の義と認められたわけです。
ローマの信徒への手紙 4章18〜22節