赦し合うことこそ愛の実践
クリスチャンは、イエスを信じて罪が赦された人々です。
しかし、クリスチャンといえども、罪人なのです。
クリスチャンは、罪がなくなった人ではなく罪がゆるされた人です。
罪が残っているので、ともすれば罪を犯してしまいます。
だから、相手の罪や失敗をゆるすことも、時には必要になって来ます。
教会は愛の実践の場です。
愛することには当然、罪をゆるすことがついてきます。
愛しているのに、ゆるさないということはあり得ません。
私たちを愛するがゆえに、キリストはすべての罪を赦してくださったのです。
教会に行くのは、愛の実践のためです。
そしてそれは、罪人である隣人の罪をゆるしに行くことでもあるのです。
当然自分の罪も、ゆるしてもらうことにもなります。
教会に完璧な人などいません。
隣人に完璧を求めると、裁きたくなってしまいます。
自分自身も含め、牧師も年配者も子供も、みんな罪人で完璧ではありません。
そういうすべての人を、愛してゆるして励ませるように、
神に力を求めて、絶えず祈るのです。
そしてキリストが愛されたように、赦し合い愛し合うのです。
【今日の聖書】
互いに親切にし、憐れみの心で接し、
神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、
赦し合いなさい。
エフェソの信徒への手紙 4章32節