何でこんなに苦難が続くのか?
なぜなら、主は愛する者を鍛え、
子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。」
ヘブライ人への手紙 12章6節
神は愛する子を鍛錬なさいます。
もしだれもが受ける鍛錬を受けていないとすれば、
実の子ではないということです。
もしだれもが受ける鍛錬を受けていないとすれば、
それこそ、あなたがたは庶子であって、
実の子ではありません。
ヘブライ人への手紙 12章8節
実の子であるからこそ、鍛錬を受けるのです。
もし苦難も何もないとするなら、信仰が本物かどうか吟味する必要があります。
自分の罪を認めていなかったり、イエスの十字架による赦しを信じていなかったり
信じているつもりでも、自分の力や良い行いで救われたと思っていたり、
神以外の偶像まで一緒に信じていたり、実は自己中心そのものだったり
形だけの信仰だったりしないか、吟味するのです。
本物の信仰を持っているなら、今もし苦難がなかったとしても
必ず、鍛錬がやってくるはずです。鍛錬が来た時、それこそが
神があなたを子として受け入れていることに、他ならないのです。
だから鍛錬をも喜ぶのです。喜んで忍耐するのです。
あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。
神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。
いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。
ヘブライ人への手紙 12章7節
鍛錬によって神は私たちに何をして下さるでしょうか?
肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、
霊の父はわたしたちの益となるように、
御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。
ヘブライ人への手紙 12章10節
霊の父である神は、わたしたちの益となるように、
御自分の神聖にあずからせる目的で、わたしたちを鍛えられるのです。
元々罪人で、罪の性質を持っていたわたしたちを、
神の神聖に預かるようにならせるために、鍛錬があるのです。
神は私たちを、霊的に成長させようとしておられるのです。
いつまでも神聖から遠い状態のままに、なさらないのです。
初めは救われたのにもかかわらず、罪ばかり犯していても
やがて、罪から遠ざかり、神にどんどん近づいていく者として下さるのです。
そのために、鍛錬があるのです。そう考えると苦難は、喜びに変えられていきます。
苦難こそが、私たちを鍛え、神の神聖に預かるようにさせるものなのです。
そして、義という平和に満ちた実を結ばせるようにしてくれるのです。
鍛錬のない所に、それはあり得ないのです。
【今日の聖書】
また、子供たちに対するようにあなたがたに話されている
次の勧告を忘れています。
「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。
主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。
なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、
鞭打たれるからである。」
あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。
神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。
いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。
もしだれもが受ける鍛錬を受けていないとすれば、
それこそ、あなたがたは庶子であって、実の子ではありません。
ヘブライ人への手紙 12章5〜8節
およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、
悲しいものと思われるのですが、
後になるとそれで鍛え上げられた人々に、
義という平和に満ちた実を結ばせるのです。
ヘブライ人への手紙 12章11節