誰をも批判しない
名バイオリニストが、いたとします。
素晴らしい演奏の腕があったとします。
彼のバイオリンの演奏に、多くの人が感動しているとします。
けれども彼が、フルートを吹けなかったらどうでしょう?
クラリネットもトロンボーンもトランペットも吹けなかったらどうでしょう?
ティンパニーもドラムも叩けず、ピアノもパイプオルガンも弾けなかったら?
こういう時、人は何というでしょうか?
彼は、フルートもクラリネットもトロンボーンもトランペットも吹けないし
ティンパニーもドラムも叩けず、ピアノもパイプオルガンも弾けない、
「バイオリンだけしか弾けない人だ」というでしょうか?
言わないでしょう。バイオリンの名手であれば、それだけでいいのです。
バイオリンの名手でありかつ、フルートの名手であり、クラリネットの...
という必要はどこにもないのです。一つで十分なのです。
素晴らしい音色のバイオリンを、聴かせてくれるだけで充分です。
それ以上を求めることはしないのです。
フルートも素晴らしく演奏してくれ、クラリネットもなどと言おうものなら
それに応えようとすればするほど、その人はつぶれてしまうでしょう。
せっかくのバイオリンの腕も、衰えてしまうことでしょう。
私たちが人を見る時、どうでしょうか?
彼は、○○ができない、△△もできない、□□などまったくできない...
このようにできないことばかりを、見てしまうのではないでしょうか?
得意とする所を見ないで、不得手なことばかりを見てしまってないでしょうか?
大抵の批判は、できないことばかりを見ている場合が多いように思います。
私の夫はこれをしてくれないし、これもしてくれない、あれもこれも...
私の妻はこれをしてくれないし、これもしてくれない、あれもこれも...
全部を完璧にできる人など、皆無です。この世には存在しないでしょう。
だから互いに助け合い、補い合うのです。
彼のできない所を私がやり、私のできない所を彼がやるのです。
人間の身体がそのように機能しています。心臓も肝臓も腎臓も役割が違います。
心臓に肝臓の機能を求めませんし、腎臓に心臓の機能を求めません。
完璧を求めることは、本来できないことなのです。
批判は相手を傷つけ倒します。助けの手を伸ばせば相手は生きてきます。
批判せずに、互いに助け合い補い合うことこそ大切です。
互いに愛し合うのです。
神の求めておられることは、まさにこのことです。
愛は多くの罪を覆うのです。
非難したり批判したり、不平を言ったりせずに、
互いにもてなし合い仕え合うことこそ、大切です。
その時に、お互いが生かし合いお互いが生きて来るのです。
【今日の聖書】
何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。
愛は多くの罪を覆うからです。
不平を言わずにもてなし合いなさい。
ペトロの手紙一 4章8〜9節