今日のできごと


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2018/8/4(土)



イエスは良いことをしたのに人々は腹を立てた

1.イエスの癒やしの業に人々は腹を立てた

 イエスは、病人に対していやしのわざをなさっていました。
 病人はいやされ、元気になって帰って行ったのです。
 その日がたまたま安息日だった時、人々は腹を立てました。

 そのことをイエスは咎めています。
 「わたしが安息日に全身をいやしたからといって腹を立てるのか」と。
 イエスに腹を立てた人々が、間違っていたのです。

2.人々は律法を誤解していた

 彼らは「腹を立てることの方が神の前に正しい」と思っていました。
 実はまったく逆だったのです。神に対して腹を立てていたのと同じだったのです。
 これこそ神の前に正しいと思っていた判断が、実は間違っていたのです。

 的を射た働きには、必ず批判や不平不満がつきものです。誤解もあるのです。
 的を射ていれば射ているほど、それは大きく激しくなってきます。
 結局イエスは、十字架で殺されてしまうのです。

3.私たちもイエスと同じ非難を受ける

 私たちも同じです。的を射ていれば射ているほど、攻撃は激しくなってきます。
 非難を受けられたイエスと同じ働きをするのですから、
 昔も今も変わらず、誤解され、非難され、腹を立てられます。

 家の主人がベルゼブルと言われるのなら、
 その家族の者はもっとひどく言われることだろう。」
 マタイによる福音書 10章25節(後半)

 イエスが悪霊の頭「ベルゼブル」と言われたのなら、
 私たちもあらぬ言いがかりと、非難や攻撃を受けてもうなずけるのです。
 「もっとひどく言われることだろう」と言われているのです。

むすび. 非難を恐れず自分の隠れた罪の裁きを恐れる

 問題は、それらを恐れてはならないということです。

 「人々を恐れてはならない。
  覆われているもので現されないものはなく、
  隠されているもので知られずに済むものはないからである。
 マタイによる福音書 10章26節

 神の前には、誰が正しくて誰が正しくないか明らかなのです。
 誤解も、冤罪も、自己正当化も、責任転嫁も、偽りも、ごまかしも明らかなのです。
 神のみ前に出た時に、恥ずかしくない生き方をしていたいと願います。

 人の言葉や行動を恐れるのではなく、自分自身の内にある隠れた罪が
 やがて天において暴かれ裁かれることを恐れ、すべての罪を悔い改めて
 神のみ前に聖い生活をしていきたいと願います。

 今日、心の中で一瞬、ひそかに思ったことも全部知っておられるのです。
 罪は、そのままにしていてはなりません。
 告白して悔い改め、離れていくのです。

 【今日の聖書】
 モーセの律法を破らないようにと、
 人は安息日であっても割礼を受けるのに、
 わたしが安息日に全身をいやしたからといって腹を立てるのか。
 ヨハネによる福音書 7章23節


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