今日のできごと


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2018/8/31(金)



職業によらず全員が罪人

 すべての人は罪人であって、正しい人はひとりもいないということが
 聖書の中に、はっきりと記されています。

 次のように書いてあるとおりです。
 「正しい者はいない。一人もいない。
 ローマの信徒への手紙 3章10節

 1日過ごせば、必ず何らかの罪の思いを抱き、罪の行いをしてしまうのです。

 1日に何の罪も犯さないで生活できた!という人がいもしいるとしたら
 それは、罪が何であるか知らないか、自分の罪認識が甘いか、
 忘れやすいかのいずれかでしょう。

 ですから、100%完璧に良い生活ができる人などどこにもいないのです。
 しかし、社会的には100%の正しさが求められています。
 そこで、二重性が出てきてしまうのです。

 人の前では正しく見せかけて、実際のところはそうではないということです。
 正しさを求められる職業であればあるほど、それが顕著になってきます。
 取り締まりをする警察官は、その心の中も完全に正しいでしょうか?

 そんなことはないのです。
 警察官になったら罪がなくなるわけではありません。
 急いでいて道がすいていたら、わかっていてもスピードを出したくなるはずです。

 それが明るみに出ると、警察官がスピード違反をしている!と非難されます。
 普通の人よりも、その叩かれ方は大きいのです。
 学校の先生もそうでしょう。裁判官なども同じです。

 イエスが地上生涯を過ごされた時代、
 ファリサイ派の人々や律法学者が、まさにそうでした。
 「神の言葉を教えるのだから、自分は義人でなければならない。」

 そういう思いが、人一倍強かったのでしょう。でも罪人だったのです。
 ですから実際は罪だらけであるにもかかわらず、義人を装っていました。
 自分は、徴税人や遊女たちのような罪人ではないんだ!と自己認識したのです。

 そこをイエスは厳しく、指摘されているのです。
 白く塗られた墓よ!と指摘しています。

 律法学者たちとファリサイ派の人々、
 あなたたち偽善者は不幸だ。
 白く塗った墓に似ているからだ。
 外側は美しく見えるが、
 内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。
 マタイによる福音書 23章27節

 イエス・キリストによる以外に、罪が赦され義とされる道はないのです。
 職業によらずすべての人が罪人で、罪の赦しを必要としており
 その罪を完全に赦して義とするために、イエスは十字架で死なれたのです。

 イエス・キリストの十字架の血潮によって、すべての罪は赦されたのです。
 だから、信じる者はすべて義とされるのです。

 【今日の聖書】
 けれども、人は律法の実行ではなく、
 ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、
 わたしたちもキリスト・イエスを信じました。
 これは、律法の実行ではなく、
 キリストへの信仰によって義としていただくためでした。
 なぜなら、律法の実行によっては、
 だれ一人として義とされないからです。
 ガラテヤの信徒への手紙 2章16節


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