今日のできごと


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2018/8/2(木)



昼休み祈祷会

 今日は、昼休み祈祷会を行いました。
 聖書箇所は、ヘブライ人への手紙12章7節でした。

 あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。
 神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。
 いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。
 ヘブライ人への手紙 12章7節

1.主は子としたものに鍛錬を与えられる

 クリスチャンの信仰生活は、万事順風満帆、平穏無事で
 のどかで、安らかというわけではありません。
 神の子供とされるのですから、神は私たちを子供として鍛えて下さいます。

 「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。
  主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。
  なぜなら、主は愛する者を鍛え、
  子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。」
 ヘブライ人への手紙 12章5〜6節

 なぜこんなに苦しい困難な状況に、居続けなければならないのだろう、
 なぜこんなに苦しまなければならないのだろう?と思うような
 厳しい状況を与えてくださるのです。

2.鍛錬を受けていないとすれば、神の子ではない

 もしだれもが受ける鍛錬を受けていないとすれば、
 それこそ、あなたがたは庶子であって、実の子ではありません。
 ヘブライ人への手紙 12章8節

 もし、クリスチャンになったけれども、
 悩みも何もなく、苦しいことなど何もない、
 「神の鍛錬て何だろう?私とはまったく関係ないなあ」と思うならば、

 それこそ、本当に信仰をもって神の子とされたのか
 もう一度、自分自身を吟味する必要があります。
 イエス・キリストの十字架の血潮による贖いの信仰の吟味です。

 「本当に自分の罪を、ちゃんと認識していただろうか?」
 「人の罪ばかり指摘して、自分の罪を悔い改めていなかったのではないか?」
 「罪を指摘されると、反論して自己正当化していなかっただろうか?」

 「自分の罪を、誰かに転嫁してしまってはいなかっただろうか?」
 「罪を赦されるイエスを、しっかり信じていただろうか?」
 「赦しを信じますと言いつつ、人を赦さないままではなかったか?」

 「自分の良い行いでクリスチャンになったと思っていなかったか?」

3.鍛錬は神がわたしを愛するがゆえのプレゼント

 しかし、言は、自分を受け入れた人、
 その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。
 ヨハネによる福音書 1章12節

 罪を赦すイエス・キリストを信じる人は、誰もが神の子供とされます。
 そして神は、ご自身の子供には鍛錬を与えて下さいますが、そうでない人には
 鍛錬を与えるとは記されていません。与えられないのです。

 もしだれもが受ける鍛錬を受けていないとすれば、
 それこそ、あなたがたは庶子であって、実の子ではありません。
 ヘブライ人への手紙 12章8節

 とするならば、鍛錬は、神の愛ゆえのプレゼントなのです。
 鍛錬は、私たちにとってなくてはならないものなのです。
 苦しい、辛い、耐えられない、ことこそ、神からの贈り物なのです。

むすび.鍛錬は神聖へと続いている

 肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、
 霊の父はわたしたちの益となるように、
 御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。
 ヘブライ人への手紙 12章10節

 鍛錬それは、苦しみで終わりません。逆なのです。
 私たちにとって、素晴らしい益をもたらすのです。
 神の神聖にあずかるようにされるためなのです。

 今苦しいでしょうか?
 必ずその鍛錬は、益に変えられるのです。
 鍛錬こそが、神の子とされている証なのです。

 元々罪を持っていない人など、どこにもいないのです。
 罪から離れ、神聖に近づくには、どうしても鍛錬が必要なのです。
 罪から離れることこそ、神の願っておられることなのです。

 【今日の聖書】
 およそ鍛錬というものは、
 当座は喜ばしいものではなく、
 悲しいものと思われるのですが、
 後になるとそれで鍛え上げられた人々に、
 義という平和に満ちた実を結ばせるのです。
 ヘブライ人への手紙 12章11節


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