今日のできごと


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2018/7/3(火)



詰坂つめさかトンネル

 今から22年ほど前の1996年10月、
 加賀かか野波のなみを繋ぐ、 詰坂つめさかトンネルができました。全長1キロほどです。
 それまでは、加賀から野波に行くには、今のチェリーロードを通っていたそうです。

 ※加賀は「かが」と濁らず、「かか」と読みます。
  北陸の加賀と同じ漢字ですが、読み方が違います。
  出雲地域ではこのように、濁音より清音読みが多いのが特徴です。

 チェリーロードができる前は、歩いて山越えをしていたそうです。
 加賀と野波は隣接しているにもかかわらず、その文化がかなり違います。
 どちらも同じような日本海に面した地区ですが、

 野波は、内陸側に農地が広くとれたこともあって
 農業と漁業の両方で、栄えた地区でした。(大芦も同じです)
 一方加賀は、農業をするほど広い土地が広がっておらず

 逆に入江が大きく、大きな船が入れたこともあって
 農業や漁業よりも海運で栄えた町だった、ということです。
 港町として栄え、多くの船持ちや船乗りがいたそうです。

 このように、双方で経済基盤が違うため、生活習慣や活動範囲も異なり、
 その考え方や文化に、大きな差が生じたようです。
 隣接した町ですが、それぞれが独特な文化を持っています。

 それは、その往来がしにくかったことも、影響しているようです。
 野波では、ガッチ祭りという独特な祭りが、今もって続いていますが、
 加賀にはそういう風習や祭りは、存在しません。

 ガッチ祭りは、野波独自のオリジナルなものです。
 逆に加賀は港町だったため、他の地域との交流が多く、
 独自文化ではなく、外から入ってきた各種の文化が混在しているようです。

 加賀は、古くから外に開かれた地域であったようです。
 今は加賀には大型船は来なくなってしまい、港は漁港になり
 野波の間に詰坂トンネルができて、互いに行き来がしやすくなり

 車なら、あっという間に往来ができるようになって、
 野波も加賀も同じような地域になってきてはいますが、
 このような以前からの文化の違いは、未だに残っているそうです。

 パウロの伝道旅行も、内陸部を通ることもありましたが
 船などで、海外線に沿った地域を巡る旅でもありました。
 その町その町で、文化の違いも大きかったのではないかと思います。

 同じユダヤ人でも、ベレアのユダヤ人と
 テサロニケのユダヤ人とでは、その素直さにおいて
 大きく違っていたようです。

 【今日の聖書】
 兄弟たちは、
 直ちに夜のうちにパウロとシラスをベレアへ送り出した。
 二人はそこへ到着すると、ユダヤ人の会堂に入った。

 ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりも素直で、
 非常に熱心に御言葉を受け入れ、
 そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた。
 使徒言行録 17章10〜11節


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