今日のできごと


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2018/7/29(日)



父は仕方なく弟息子に財産を与えた

1.それはだめでしょう...

 放蕩息子の話が、ルカによる福音書にでてきます。

 弟の方が父親に、
 『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』
 と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。
 ルカによる福音書 15章12節

 ちょっと待て!待て!早すぎる!
 まだその時期ではないのに、相続財産を求めている弟息子。
 にもかかわらず、あっさりと与えてしまっている父親。

 与えたら、だめでしょう!
 家出するに決まっているでしょう。
 弟の性格から言って、湯水のごとく金を使ってしまうのは、火を見るよりも明らか...

2.でも仕方なく...

 なぜ毅然とした態度で「だめだ待ちなさい!」と言えなかったのか?
 いや言わなかったのだろうか?と思わないでしょうか?
 でも、たとえ父親が止めたところで、弟息子の気持ちは変わらなかったでしょう。

 父親は、本望ではなかったけれども、あえて弟息子の要求に応えて
 弟息子が受け継ぐべき財産を、与えたのです。
 財産を浪費し、飢えて、もしかしたら飢え死にする可能性もあったのですが

 あえて与えています。
 その結果、弟息子は家出をします。放蕩に身を持ち崩します。
 父親はそうなることが、わかっていなかったのでしょうか?

 いや、わかっていたでしょう。
 けれども、わかっていたけれども、あえて与えているわけです。
 本来求めるものでないものを求めてきたのに、あえて仕方なく与えたのです。

3.案の定...

 何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、
 遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、
 財産を無駄使いしてしまった。
 ルカによる福音書 15章13節

 弟息子は、与えられたものを全部金に換えて
 遠くに旅立ち、放蕩の限りを尽くします。自分がやりたかったことをしたわけです。
 そして、ついに食べるのにも窮してしまうのです。

 何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、
 彼は食べるにも困り始めた。
 ルカによる福音書 15章14節

 父親が財産を分け与えるから、こんなことになってしまったのです。
 与えていなければ、弟息子は放蕩の限りは尽くせなかったでしょうし、
 放蕩の結果、異国で食べるにも困る、ということもなかったはずです。

 父親は弟息子が、放蕩の限りを尽くすことを願っていたのでしょうか?
 食べるにも困る状況に陥るのを、願っていたのでしょうか?
 そうではなかったでしょう。

4.あえて与えて気付かせた父の知恵

 これは、父親の本望ではなかったのです。
 弟息子は、本来求めるべきではなかった時期に、財産を求めてしまっていたのです。
 言うなれば弟息子の自業自得です。彼は、苦しみの中で初めて我に返りました。

 そこで、彼は我に返って言った。
 『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、
  有り余るほどパンがあるのに、
  わたしはここで飢え死にしそうだ。
  ここをたち、父のところに行って言おう。
  「お父さん、わたしは天に対しても、
   またお父さんに対しても罪を犯しました。
 ルカによる福音書 15章17〜18節

 我に返って良かったです。
 もし我に返っていなかったら、餓死していたかもしれません。
 我に返って、父親の元に帰り、助かったのです。

 父親は、本望ではなかったけれども、
 あえて、弟息子が求めた財産を、彼に与えることによって
 彼がたとえ窮地に陥ったとしても、本心に立ち返るようになることを願ったのです。

むすび.一番良いのは放蕩せずに本心に立ち返り父のもとにいること

 しかし、そもそも家出もせずに、放蕩することもなしに、飢えて苦しみもせずに、
 家にいるままで、本心に立ち返ることができたならば、それが一番良かったのです。
 彼が父に立ち返るために、飢えて苦しむことが必要不可欠なのではなかったのです。

 しかし、父のそば近くにいる時には、彼にはそれがわかりませんでした。
 父の元にいることが、どんなに平安で豊かで素晴らしく、
 自分にとって本来的な姿であるのかが、理解できていなかったのです。

 彼の本来求めるものは、財産ではなかったのです。自分の心の変化だったのです。
 「父親の心を、自分の心とする」そのような心の変化が必要だったのです。
 彼はその時、まだそれに気づいていなかったのです。

適用. もしかしたら私の求めていたものも...?

 私たちも、もしかしたら神の本来願っていることとは、
 全く違うものを、執拗に求めているかもしれません。
 神はそれをあえて与えて下さって、後で私たちが気づくようにされることもあります。

 しまった!間違ったものを求めていた!これじゃなかったんだ!と、
 後でわかるのです。そして「本当に求めるべきものが何であったのか」を悟るのです。
 私たちの本当に求めるもの、求めるお方、それは神ご自身なのです。

 そして神のみ旨を知って、神の御心にかなうものを願い求めるのです。
 神は喜んで与えて下さいます。求めるものに与えて下さるのは、神の約束です。
 そして私たちは、神と共に喜ぶことができるのです。

 神の願われていないものを執拗に求めて、あえて与えられて、
 罪に陥り、苦しみを通り、苦しみの中で神に立ち返り、神の元に帰るという、
 遠回りをしなくても済むのです。

 【今日の聖書】
 そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。
 ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、
 憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。

 息子は言った。
 『お父さん、わたしは天に対しても、
  またお父さんに対しても罪を犯しました。
  もう息子と呼ばれる資格はありません。』

 しかし、父親は僕たちに言った。
 『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、
  手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。
  それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。
  食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、
  いなくなっていたのに見つかったからだ。』

 そして、祝宴を始めた。

 ルカによる福音書 15章20〜24節


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