今日のできごと


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2018/7/30(月)



交通事故

 先週、自転車でトンネルを通っていたら、前方に赤いランプが点灯していました。
 事故でした。どんな事故かわかりませんが、1台の車がハザードを出して
 トンネル内で停車しており、そのずいぶん後ろにパトカーが停まっており

 更にその後ろにも、パトカーが停まっており、
 片側を通行止めにして、警官が車の誘導をしていました。
 そのトンネル内での事故は、初めて見ました。

 松江市内を自転車で走っていて気付くのは、
 「車が自転車を見てくれていない場合が多々ある」ということです。
 自転車が通っているにもかかわらず、横からいきなり車が飛び出してきます。

 1回2回ではなく、頻繁にそういうことがあります。
 運転手の心理の問題なのですが、狭い道から大きな道路に車が出ようとする時に、
 運転手は、広い通りの車の途切れるタイミングを見計らって出ようとします。

 しかしその時、歩道に目が向いていないのです。
 歩行者や自転車は、視界に入ってこないようです。
 車ばかり気にしてしまうので、途切れた瞬間さあ行こうとアクセルを踏みます。

 すぐそばまで自転車が来ているにもかかわらず、アクセルを踏むので
 そこに自転車が突っ込んでしまうのです。
 ということで、先週は自転車に気付かなかった左折車にぶつかるところでした。

 ぶつかる前に、自ら自転車を倒して転倒し、道路に転がりました。
 結構勢いがついていたので、足と腕を打撲し、擦傷を負ってしまいました。
 転がった道路は、太陽で熱せられてかなり熱かったです。

 車とは接触しませんでしたので、自転車も車も無事でした。
 交通事故の扱いだったと思いますが、時間が惜しかったので
 救急も警察も呼ばずに、そのまま済ませました。

 自転車に乗る時や歩行時は、車の運転手が自分に気づいていないという前提でいないと
 とても危険です。普通に走っていたら、そういう場合、確実にぶつかります。
 今回も、軽い事故で良かったです。打撲の痛みは3日は続きましたが...

 一回事故に合うと、気が引き締まります。
 注意深くなるので、その点は良かったと思います。
 車を運転する時も、道を歩く時も、自転車に乗る時も、

 細心の注意を払っていきたいと思います。

 私たちが霊的に注意することは、何でしょうか?
 私たちの内側にある、肉体的な欲望の暴走です。
 すなわち貪欲です。貪欲は、偶像崇拝に他ならないのです。

 だから、地上的なもの、すなわち、みだらな行い、不潔な行い、
 情欲、悪い欲望、および貪欲を捨て去りなさい。
 貪欲は偶像礼拝にほかならない。
 コロサイの信徒への手紙 3章5節

 たとえ偶像を拝んでいなくても、心の中が貪欲でいっぱいなら
 神でないものが、心を支配していることになります。偶像崇拝と同じなのです。
 お金は自分の欲しいものと交換できます。ですから貪欲を助長してしまいます。

 お金に対しても、よくよく注意している必要があります。
 持っている時も、持っていない時も、お金が心を支配しないようにすべきです。
 お金に代表される富にではなく、神に従って生きていきましょう!

 「だれも、二人の主人に仕えることはできない。
  一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、
  どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
 マタイによる福音書 6章24節

 人生の道を歩んで行くときの注意点は、貪欲です。
 貪欲の誘惑が飛び出してきても、賢く避けていきましょう。
 貪欲に従う生き方は、利害関係の対立による争いを生み出します。

 平安を奪われ、不満が募り、感謝を失い、神を見失ってしまいます。
 神を見失った先にあるのは、滅びです。しかもそれは永遠なのです。
 貪欲の行き先は、「永遠の滅び」なのです。

 すべてみだらな者、汚れた者、
 また貪欲な者、つまり、偶像礼拝者は、
 キリストと神との国を受け継ぐことはできません。
 このことをよくわきまえなさい。
 エフェソの信徒への手紙 5章5節

 欲望は、コントロールされるべきものです。
 聖霊の力によってコントロールし、心の中がいつも欲望ではなく
 神に支配されているようにして、生きていきましょう。

 【今日の聖書】
 そして、一同に言われた。
 「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。
  有り余るほど物を持っていても、
  人の命は財産によってどうすることもできないからである。」
 ルカによる福音書 12章15節


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