神の正しい裁きを待ち望まれたイエス・キリスト
何の罪もないのに、十字架の上で血潮を流し
死んで行かれたイエス・キリストの姿は、
理不尽この上ないともいうべき、姿でした。
罪人でもないのに、罪人のひとりにされてしまい、
正しい裁きによらず、不当な裁きによって裁かれて
結局、十字架にかけられて死んでしまわれたのです。
理不尽この上ない仕打ちを受けられ、十字架で死なれたイエスでしたが、
イエスの心は、神の正しい裁きに向いていました。
「正しくお裁きになる方」すなわち父なる神に、一切をゆだねておられたのです。
理不尽は、理不尽のままで終わりません。
最後には、正しく裁いて下さる神の裁きがあるのです。
私たちも同じように、理不尽な目にあったとしても、
あえて反論や叫びをあげず、それに甘んじて、
最後の神による正しい裁きを、信仰を持って待ち望んでいたいとそう願います。
信仰の勇者たちは、理不尽な所を通されつつ用いられているのです。
【今日の聖書】
「この方は、罪を犯したことがなく、
その口には偽りがなかった。」
ののしられてもののしり返さず、
苦しめられても人を脅さず、
正しくお裁きになる方にお任せになりました。
ペトロの手紙一 2章22〜23節