今日のできごと


 前日  翌日  今月  去年の今頃  トップへ  更新
2018/5/26(土)



アダムとエバは事実を語っていた

1.罪を犯したアダムへ神は問いかけられた

 はじめの人間アダムが罪を犯した時、神はアダムに問いかけました。

 神は言われた。
 「お前が裸であることを誰が告げたのか。
 取って食べるなと命じた木から食べたのか。」
 創世記 3章11節

 図星でした。
 食べるなと、命じておいた木からとって食べたからこそ
 自分が裸であることがわかったのです。

2.アダムは神に事実を語った

 けれどもその時アダムは、「食べました」と答えるだけでなく
 「食べました」と言うその前に、その時の状況を一緒に語っています。

 アダムは答えた。
 「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、
  木から取って与えたので、食べました。」
 創世記 3章12節

 この内容は、偽りではありませんでした。事実です。
 彼は、事実をそのまま語っています。
 しかしこの内容には、本来彼が語らなければならなかった

 もうひとつのことが、抜け落ちています。
 「神が禁止されているのを承知の上で、私が自分で決断して食べました」
 そこが抜けていたのです。食べる決断をしたのはアダムなのです。

3.アダムの返答には責任転嫁が表れていた

 エバから実を渡されたけれども、その後それをどうするかは
 アダム自身で決められたのです。食べたことに関してはアダムに責任がありました。
 アダムには、それを食べないでいる決断もできたのです。

 自分が罪を犯したことの責任が、あたかもエバだけにあるかのような言葉を語り、
 「自分自身の罪をエバのせいにしてしまう」責任転嫁が、ここに表れています。
 自分が間違った決断をし、自分自身で神に背く行為を行ったということを言わずに

 あたかも「すべて私に実をくれたエバが悪いんです」、
 しかも「そんなエバを私と一緒にされたのは、神様あなたです」
 という具合に責任転嫁の言葉を、アダムは語っているのです。

むすび.神の求められるのは罪を認めて悔い改めること

 ここにあるのは何でしょうか?
 自分の罪を認めたくない、罪を犯したにもかかわらず「自分を正しい」とする思いです。
 「私は悪くない」この思いが、この言葉からにじみ出ています。

 「罪を認めようとしないアダムは、本当に罪深かったな」と思ってしまいますが、
 実にこの私こそが、まぎれもなくアダムの子孫であり、
 悲しいことに、同じ罪を受け継いでいるのです。

 「私が悪いのではなく、初めに罪を犯したアダムこそが悪いのです」と
 このように語ってしまうと、まさにアダムの罪と同じことになってしまいます。
 神の求めておられることは、何でしょうか?

 私が自分の罪を認めて、素直に神の前に悔い改めることなのです。
 誘惑する方も悪いですが、すべてを誘惑してきたもののせいにしてしまっては
 ならないのです。自分の行動の責任は自分自身にあります。

 悔い改めるべきことは、悔い改めなければならないのです。

 【今日の聖書】
 しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。
 打ち砕かれ悔いる心を
 神よ、あなたは侮られません。
 詩編 51編19節


 前日  翌日  今月  去年の今頃  トップへ  更新