危険な飲酒運転の原因は酒
1.酒は人から自制心を奪い制御不能に陥れる
普段大人しい人でも、酒を飲み、酒に酔うことによって、
普通の時には言わないような、暴言をはくようになったりします。
酒は人をあざける者とし、
濃い酒は人をあばれ者とする、
これに迷わされる者は無知である。
箴言 20章1節 (口語訳)
アルコールは、自制心を奪います。
正しく自分自身を制御できなくなるのです。
飲酒運転が罰せられるのも、そのためです。
アルコールを摂取しても、
自制ができ自分自身を正しく制御できれば、
飲酒運転も、ある程度認められていたことでしょう。
けれども、飲酒運転は、どんな人物でも全員禁止されています。
飲酒の危険性が、とても高いことがわかります。
酒は人を、制御不能にさせるのです。
2.酒の楽しみは一時的で長く続かない
酒は一時的にからだを高揚させますが、一時的です。
さらに持続させたいので、さらに求めますが、
更に求めても一時的なのです。
もっと気持ちよく!もっと楽しく!と思っても
何倍飲んでも、求めるところまでは行きつかないのです。
逆に吐き気を催し、歩けなくなり、寝込んでしまったりします。
一時的に、からだを高揚させるだけなのです。
一時的です。そしてそこには、本当の喜びや平安、楽しみがありません。
求めても、求めても、行きつかないのです。
ですから、やめられなくなるのです。
もっと、もっとと求めて飲んでも、満足できないからです。
結局、からだを蝕まれるだけです。
3.酒は身体を蝕んでしまう
聖書の中で酒は、蛇の毒にたとえられています。
酒を見つめるな。
酒は赤く杯の中で輝き、
滑らかに喉を下るが後になると、
それは蛇のようにかみ
蝮の毒のように広がる。
目は異様なものを見
心に暴言をはき始める。
海の真ん中に横たわっているかのように
綱の端にぶら下がっているかのようになる。
「打たれたが痛くもない。
たたかれたが感じもしない。
酔いが醒めたらまたもっと酒を求めよう。」
箴言 23章31〜35節
「酒は滑らかに喉を下るが、後になると、
それは蛇のようにかみ、蝮の毒のように広がる」
ということです。有毒だというのです。
むすび.
「王は酒を飲むべきではない」とも言われています。
レムエルよ、酒を飲むのは、王のすることではない、
王のすることではない、
濃い酒を求めるのは君たる者のすることではない。
彼らは酒を飲んで、おきてを忘れ、すべて悩む者のさばきを曲げる。
箴言 31章4〜5節
酒を飲むことは、良い結果を産み出さないのです。逆です。
おきてを忘れ、裁きを曲げるようになってしまうというのです。
酒ではなく、聖霊に満たされることです。
聖霊に満たされる時、そこに本当の喜びと平安がやってきます。
どんなに酒を飲んでも得られなかった、真の喜びがそこにあるのです。
酒をいくら飲んでも、それは得られないものなのです。
【今日の聖書】
酒に酔いしれてはなりません。
それは身を持ち崩すもとです。
むしろ、霊に満たされ、
詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、
主に向かって心からほめ歌いなさい。
エフェソの信徒への手紙 5章18〜19節