商売の家としてはならない
1.神殿での献金はユダヤの貨幣で献げていたので両替が必要だった
1.1 当時の神殿には両替商がいた
イエスがエルサレムの神殿に入られると、
神を礼拝する神殿の境内では、
そこで献げる動物を、売っていました。
両替商もいました。
ローマやギリシアの異邦人世界の貨幣には、
カイザルの肖像が刻まれていたりするので、
神殿で献げるにはふさわしくなかったため、
それらの貨幣を、ユダヤの貨幣に替える必要があったようです。
人々はユダヤの貨幣を、神殿で献げていたようです。
1.2 貧しかったやもめはユダヤのレプトン銅貨を献げている
ところが、一人の貧しいやもめが来て、
レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。
マルコによる福音書 12章42節
貧しいやもめは、レプトン銅貨2枚を献げていますが、
レプトン銅貨は、れっきとしたユダヤの貨幣です。
一方クァドランスは、ローマの最小単位の銅貨でした。
1クァドランスでささげないで、2レプトンでささげているのは
そのためです。
そのほかにアルギュリオン銀貨が、ユダヤの貨幣でした。
1.3 神殿税は2人でユダヤの銀貨アルギュリオン1枚
1アルギュリオン=512レプタになります。ギリシアのスタテル銀貨と同等です。
1レプトンを40円とすると、1アルギュリオン=20,480円となります。
2人分の神殿税が銀貨1枚でしたので、1人分は10,240円となります。
一行がカファルナウムに来たとき、
神殿税を集める者たちがペトロのところに来て、
「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と言った。
マタイによる福音書 17章24節
しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。
湖に行って釣りをしなさい。
最初に釣れた魚を取って口を開けると、
銀貨が一枚見つかるはずだ。
それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい。」
マタイによる福音書 17章27節
これは、神殿に納めることができる銀貨のはずですから、
ユダヤの銀貨ということで、アルギュリオンだろうということになり
1アルギュリオン=512レプタ=20,480円となるわけです。
1.4 ユダはおそらくイエスを売った時ユダヤの銀貨30枚をもらった
イスカリオテのユダが、銀貨30枚でイエスを売りますが、
銀貨1枚分の20,480円を30倍すると、614,400円ということになります。
およそ60万円で売ったという感じです。
「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言った。
そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。
マタイによる福音書 26章15節
2.日常生活も貨幣経済の中で動いていた
2.1 2羽の雀が1アサリオン=8レプトン
また、1レプトン=40円のレートで行くと、マタイによる福音書10章29節では
2羽の雀が1アサリオン=8レプトンなので、2羽で320円ということで
1羽あたり160円になります。
二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。
だが、その一羽さえ、
あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。
マタイによる福音書 10章29節
2.2 5羽の雀が2アサリオン=16レプトン
一方、ルカによる福音書12章6節では、
5羽の雀が2アサリオンなので、5羽で640円ということで
1羽あたり128円ということになります。
五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。
だが、その一羽さえ、
神がお忘れになるようなことはない。
ルカによる福音書 12章6節
2羽で買うより、5羽のまとめ買いの方が割安だったようです。
「安いよ安いよ、この雀!2羽で320円のところ5羽で640円!」
「4羽買ったら1羽おまけだよ!1羽に付き32円もお得だよ!奥さん!」
といった具合でしょうか?
このレートの場合、1デナリオンは128レプトンなので 5,120円ということになります。
労働者の日当としても、妥当な所ではないでしょうか?
2.3 デナリオンに刻まれていた皇帝の顔
デナリオンもローマの銀貨でしたので、カイザルの肖像が刻まれていました。
「デナリオン銀貨を見せなさい。
そこには、だれの肖像と銘があるか。」
彼らが「皇帝のものです」と言うと、
イエスは言われた。
「それならば、皇帝のものは皇帝に、
神のものは神に返しなさい。」
ルカによる福音書 20章24〜25節
ですから、神殿ではささげられませんでしたので、両替の対象となっていたようです。
為替レートが、きちんとしていたかどうかはよくわかりませんが
およそのイメージがつかめるのではないでしょうか?
3.貨幣経済の中で神殿にもそれが入り込んでいた
3.1 神殿に両替商や動物の商売人がいた
当時の世界も、お金で動いていたことがわかります。
貨幣経済だったようです。
神殿にもそれが入り込んでいて、神殿は両替商の商売の場となっていました。
犠牲用の動物を売って利益を稼ぐ人々の商売の場でもありました。
確かに神殿でささげるものを提供するということで、
神殿とまったく関係がなかったわけではありませんが、
3.2 イエスは彼らを戒められた
イエスは彼らを戒めておられます。
イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、
両替人の金をまき散らし、その台を倒されました。
鳩を売る者たちには、
「このような物はここから運び出せ。
わたしの父の家を商売の家としてはならない。」と言われています。
3.3 神殿を商売の家としてはならなかった
神殿は、純粋に神を礼拝する場所として聖別されていなければ
ならなかったのです。
神殿は、神を礼拝する所でなければなりませんでした。
むすび. 教会も祈りの家であって商売の家ではない
現代の教会も同じです。
教会の礼拝にも、商売の要素が入り込まないよう、注意が必要です。
礼拝は、営業活動やセールスの場ではないのです。
献金は神にささげるものであって、商売のためではありません。
神の働きのために、献金は用いるべきものです。
そして教会は、祈りの家であるべきものなのです。
【今日の聖書】
ユダヤ人の過越祭が近づいたので、
イエスはエルサレムへ上って行かれた。
そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、
座って両替をしている者たちを御覧になった。
イエスは縄で鞭を作り、
羊や牛をすべて境内から追い出し、
両替人の金をまき散らし、その台を倒し、
鳩を売る者たちに言われた。
「このような物はここから運び出せ。
わたしの父の家を商売の家としてはならない。」
ヨハネによる福音書 2章13〜16節