罪をことごとく赦される主
過去を振り返って、自分の犯してしまった罪を思い出し
その罪責感に、苦しみ悩むことがあるかもしれません。
できればもう一度、その時に戻ってやり直したいという
そういう思いがやってくるかもしれません。
しかし、神の前に悔い改める時、イエス・キリストの流された
十字架の血潮のゆえに、すべての罪は赦されるのです。
主はお前の罪をことごとく赦し
病をすべて癒し
詩編 103編3節
ことごとく赦してくださるのです。
ですから私たちは、どんなに罪の思い出が沸き上がろうとも
その罪をことごとく、神は赦してくださったと確信している必要があります。
この世の中の法律では、罪を犯したら何らかの罰則が科せられます。
罰金を払ったり、懲役刑に服してその後、ゆるされます。
けれども十字架の赦しは、私たちの側に何らの行いも要求されません。
ただ信仰によって、ゆるしを受け取るだけなのです。
ゆるされたら、もう二度と同じ罪を犯すことのないよう歩むのです。
ゆるしを確信して生きる時、どうなるでしょうか?
たとえ過去の罪の悪しき思い出が、よみがえって来ても、
「その罪はことごとく、イエスの十字架の血潮で赦していただいたんだ」と
神の憐れみと、神の赦しの恵みに感謝をささげれば良いのです。
そうするとどうなるでしょうか?
今までの負の思い出が、そんな罪をも赦してもらっているんだという
全く逆の、赦しの恵みと感謝の思い出となっていくのです。
もしペトロが、3度『イエスを知らない』と言ってしまったことを
思い出すたびに、落ち込んでいたらどうだったでしょうか?
あれ程力強い働きは、できなかったことでしょう。
ペトロが、「3度イエスを知らないと言ってしまった」時のことを
思い出すたびに、それをことごとく赦して下さったイエスの憐れみと
赦しを、感謝したことでしょう。
そのように、自分の罪を嘆くのでなく、神の赦しに感謝するのです。
イエスの十字架による神の赦しは、完全です。完璧な赦しなのです。
私たちの感情によらず、考えによらず、思いによらず、完全な赦しなのです。
この神の計らいを、私たちは忘れてはならないのです。
【今日の聖書】
わたしの魂よ、主をたたえよ。
主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。
主はお前の罪をことごとく赦し
病をすべて癒し命を墓から贖い出してくださる。
慈しみと憐れみの冠を授け長らえる限り良いものに満ち足らせ
鷲のような若さを新たにしてくださる。
主はすべて虐げられている人のために
恵みの御業と裁きを行われる。
詩編 103編2〜6節