神を愛することの反対
1.神を愛することの反対は何か?
「神を愛することの反対は何だろうか?」と考える時、
「神を憎むことだろうか?」「神に無関心であることだろうか?」と考えますが、
それよりも「神以外のものを神以上に愛すること」の方が強いでしょう。
「神を愛しています」と言いつつも、もっと愛する別のものがあれば、
神を愛することを反故にしていることになります。
それはちょうど、夫婦の関係を例にとると、わかりやすいです。
2.夫婦の愛の例
夫が妻を憎んだり、妻に無関心であることよりもむしろ、
夫が妻には普通に接しつつも、もしよその女性をもっと愛しているのなら
これ以上の裏切り行為はないでしょう。
逆に妻が夫よりも、夫以外の男性をもっと愛してしまったら
同様にこれも夫への裏切り行為であって、夫への愛の逆になってしまいます。
これはすなわち、心の中で姦淫を犯していることになってしまうのです。
このような場合、夫婦の関係は崩壊してしまうでしょう。
夫は世界中の誰よりも優先して妻を愛し、妻も世界中の誰よりも夫を愛します。
そこに、互いに愛し合う麗しい夫婦関係が結ばれていきます。
3.神以上に愛しているものに仕えている
もし私たちの心の中に、神以上に愛するものがあったとすると
それが私にとっての神になってしまいます。これがすなわち「偶像」です。
偶像崇拝が禁じられているのは、それが神を愛することの正反対だからなのです。
偶像崇拝をしながら、神を愛するということはあり得ません。
よその女性を愛しながら、妻を愛するということがあり得ないのと同じです。
夫が妻だけを愛するように、神だけを愛するのです。
神以上に愛する別のものがあるとすると、どうなるでしょうか?
神に従う以上に、神以上に愛しているものに仕えてしまいます。
「神は2番でいいじゃないか、私はまずお金が大事だ」という場合、
神の言葉よりも、お金が増える方を選ぶことになっていきます。
もし妻に、夫以上に愛している男性がいたとすると、どうなるでしょうか?
その人の言葉の方が、夫の言葉よりも妻に大きな影響を及ぼしてしまいます。
夫よりも、夫以上に愛している男性に仕えてしまうことになってしまうのです。
だから、夫婦の関係が崩壊してしまうのです。
いつでもどの男性よりも最優先が夫なのです。
神との関係も同じです。
むすび.神以上に愛するものを持たない
もし「神を愛しています」と言うのであれば、
神以外のどんなものをも、神以上に愛さないことを選び取るのです。
夫婦の場合、どんなに気が合う人であっても、
夫であれば妻以上にその女性を愛さない、
妻であれば夫以上にその男性を愛さない、
このことを決断し、実行していくのです。
結婚式で誓うのは、このことなのです。
神を愛するということも、同じです。この世の中のどんなものも、
「神以上に愛さない」という決断をして、それを実行していくのです。
【今日の聖書】
世も世にあるものも、愛してはいけません。
世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。
なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、
生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。
世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。
しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます。
ヨハネの手紙一 2章15〜17節