好きと愛の違い
小さな子供に愛ということを説明する場合、
わかりやすいように「大好き」という言葉に言い換えてしまうのですが
根本的に「愛」と「好き」では大違いです。
1.好きというのは自分の欲望や感情
「
告る」という行為が流行っていますが
「私はあなたが好きです」という告白は、実際の所、
「あなたが主体」の行為ではなく「私が主体」の行為になります。
言い換えれば「あなたは私の欲望にかなっています」ということになってきます。
「あなたは私の好みにあった人です」という、私中心の告白なのです。
「あなたの思いがどうであっても、私はあなたが好きです」ということです。
「好き」という場合、主体はいつでも私にあります。
相手ではなく、
私の欲望や感情や好みがその基準なのです。
実はそれは、極めて自己中心的なものなのです。
2.愛は自分の欲望や感情に一切関係ない意志
一方「愛」はそうではありません。
「私が主体」ではなく、いつでも「あなたが主体」になるのです。
生きるのは「私」ではなく、いつでも「あなた」なのです。
私の心の中にその人に対する「好き」という感情があろうがなかろうが、
「私はあなたにとって最善を行います」というのが、「愛」です。
私の「思い」や「感情」や「欲望」や「好み」は、一切関係ないのです。
「自己中心」ではなく、「相手中心」なのです。
「あなたが欲しいなら、私も欲しいけどあなたにあげます」というのが愛です。
究極は「あなたが生きるためなら、私は死んでもかまいません」です。
3.イエス・キリストはわたしたちを愛された
イエス・キリストの十字架の愛は、まさにこれです。
「あなたが生きるためなら、私は死んでもかまいません」という愛を
実際に十字架にかかって死なれることを通して、示されたのです。
どこまでも、相手が中心なのです。
たとえその人が、自分を殺そうとするような人であったとしても
その人のために、最善を尽くしその人のために命を捨てるのが愛です。
だから敵を愛するということが、可能なのです。
「好き」は、相手が敵対している場合はあり得ませんが、
「愛」は、相手が敵対していようがどうであろうが、十分あり得るのです。
むすび.
そして、私たちが神に与えられている戒めは、
「あなたがたは、互いに好きになりなさい」ではなく
「あなたがたは、互いに愛し合いなさい」なのです。
【今日の聖書】
あなたがたに新しい掟を与える。
互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、
あなたがたも互いに愛し合いなさい。
ヨハネによる福音書 13章34節