今日のできごと


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2017/9/14(木)



近世後期における出雲の鉄師

 今日は松江工業高等専門学校の人文科学科の鳥谷智文先生より
 「近世後期における出雲の鉄師」について、お話を伺いました。
 鎌倉時代さらに平安時代からたたら製鉄は存在していましたが、
 今回は、江戸末期から明治にかけてのたたら鈩製鉄についての話でした。
 たたら製鉄というのは、次のような工程で鉄を生産する仕組みです。

 @砂鉄+A木炭+B釜土かまつち鈩場たたらばCけら(1〜3.5t) +Dずく(一部販売:鋳物)
 Cけら大どう場おおどうばEはがね(100% 販売:刀の材料) +F歩ヒぶけら(100%次工程へ)
 Dずく(残り) +F歩ヒぶけら +G木炭→大鍛冶場おおかじばH包丁鉄I割鉄・小割鉄(100% 販売)

 出雲の山間部ではこのたたら製鉄が盛んで、鉄師てっしと言われる人々が
 大勢いたということです。
 代表的なのが田部家たなべけで、 櫻井家さくらいけ絲原家いとはらけ卜蔵家ぼくらけ、と続きます。

 明治時代初頭までは、田部家だけで はがねずくけら割鉄わりてつ合わせて
 年間10万貫目(375トン)以上の販売量があったということで、
 西洋の溶鉱炉が入ってくるまでは、かなり盛んだったようです。

 溶鉱炉の鉄は質は劣るのですが、格安に作れるため、
 徐々に押されていってしまい、たたら製鉄はなくなっていったそうです。
 奥出雲や雲南には、たたら製鉄の史跡が数多く残されているそうです。

 【今日の聖書】
 あなたがたの信仰は、
 その試練によって本物と証明され、
 火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、
 イエス・キリストが現れるときには、
 称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。
 ペトロの手紙一 1章7節


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