今日のできごと


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2017/8/30(水)



律法で人は救われない

 1.律法は人が正しく生きるために定められた戒め

 1.1 律法は人が正しく生きるための基準

 旧約聖書には十戒を根底にした各種律法が、記されています。
 神によって定められたもので、律法は人が正しく生きるための
 基準を示しています。

 1.2 律法を守れば祝福される

 律法を守る時に神の祝福が与えられ、律法に背くとき
 神の祝福が奪われ、呪いを招いてしまうことが記されています。
 律法は、人間が正しく生きるためのマニュアルでした。

 1.3 律法は子供にも教えなければならなかった

 律法は、自分だけでなく子供たちにも教えて、
 忠実に守らせなければならない、神の戒めでした。

 「あなたたちは、今日わたしがあなたたちに対して証言する
  すべての言葉を心に留め、子供たちに命じて、
  この律法の言葉をすべて忠実に守らせなさい。
 申命記 32章46節

 2.旧約聖書に見る律法を守れなかった多くの人々

 2.1 律法を守れなかったダビデ王

 ところが、旧約聖書中の人々の行動を見る時、
 彼らは数々の律法違反をしていることに気が付きます。罪を犯しているのです。
 ダビデ王は、少年の頃から神を信じ、数々の功績を残した優れた王でした。

 そんなダビデ王が、ウリヤの妻バト・シェバと姦通してしまうのです。
 証拠隠滅を図るために、ウリヤを故意に戦死させてしまいます。
 結局、生まれた子供は弱っていき、七日目についに死んでしまうのです。

 2.2 サウル王も律法を守れなかった

 ダビデ王でさえも、まったく罪を犯さない一生を送ることはできませんでした。
 他の人物も同様です。ダビデの一代前のサウル王はどうだったでしょうか?
 姦淫の罪は犯さずとも神の命令を軽んじて、王位剥奪となりました。

 2.3 ソロモン王も後続の王たちも律法を守れなかった

 ダビデの次の王ソロモン王は、異邦人の妻を次々とめとってしまい、
 最後には妻たちの偶像崇拝に陥ってしまい、神から離れて行ってしまいます。
 その後の王たちの罪を数え上げれば、枚挙に暇がありません。

 律法は守らなければならないのですが、どうしても守れないことがわかります。

 3.律法を行って救われようとしてもできない

 3.1 青年は完全に律法を守っているつもりだった

 イエスのもとにある青年がやってきた時、彼は
 「自分は律法を小さい時から全部守ってきました」と語りました。

 そこで、この青年は言った。
 「そういうことはみな守ってきました。
  まだ何か欠けているでしょうか。」
 マタイによる福音書 19章20節

 3.2 イエスは青年が律法を守れていないことに気づかせた

 イエスは彼に対して、こう語られました。

 イエスは言われた。
 「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、
  貧しい人々に施しなさい。そうすれば、
  天に富を積むことになる。
  それから、わたしに従いなさい。」
 マタイによる福音書 19章21節

 すなわち、「『隣人を自分のように愛しなさい』という戒めを
 完全に守ってきたというのなら、あなたは貧しい人々を隣人のように愛して
 来たのですか?自分の豊富に持っている持ち物を、施してきましたか?

 もし完全に守ってきたというのなら、持ち物を売り払って
 貧しい人々に施すことができるはずでしょう、そして私に従ってきなさい」
 といわれたのです。

 3.3 青年は律法を守れていなかったことに気づいて去って行った

 青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。
 たくさんの財産を持っていたからである。
 マタイによる福音書 19章22節

 彼は、自分ができていなかったことに気づきます。
 そしてできないことにも気づいたのです。
 律法をすべて完全に守っていると思い込んでいたのですが、

 そんなことは、できていなかったのです。
 そして今現在も、それができない自分に気が付くのです。
 律法を完全に守ることなど、罪をもって生まれてきた以上誰にもできないのです。

 むすび. 律法ではなく信仰によって救われる

 律法を完全に守らなければ救われないとするなら、
 もはや誰も、救われる人はいなくなってしまいます。
 ただイエス・キリストを信じるだけで、罪ゆるされて救われるのです。

 【今日の聖書】
 けれども、人は律法の実行ではなく、
 ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、
 わたしたちもキリスト・イエスを信じました。
 これは、律法の実行ではなく、
 キリストへの信仰によって義としていただくためでした。
 なぜなら、律法の実行によっては、
 だれ一人として義とされないからです。
 ガラテヤの信徒への手紙 2章16節

 律法によってはだれも神の御前で義とされないことは、明らかです。
 なぜなら、「正しい者は信仰によって生きる」からです。
 ガラテヤの信徒への手紙 3章11節


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