今日のできごと
2016/8/30(火)

今日は、地域の牧師の早天祈祷会がありました。
詩編99編から、次のようなメッセージが語られました。
神を正しくおそれることが、私たちに不足していないだろうか?
神を、あまりにも軽い存在と考え過ぎていないだろうか?
神を、知らな過ぎてはいないだろうか?
主は、私たちを圧倒される方である。
主が私を、圧倒される方であることを知ろう!
神のみ前に、へりくだることこそ大切である。
そういう内容のメッセージでした。
メッセージを聞いて、出エジプトのとき葦の海を渡った
モーセとイスラエルの民のことが、思い浮かびました。
神は、海をわけて道をつくり、ご自分の民を助けられました。
神の圧倒的な力を、海をわけることによって表わされました。
私たちが信じて仕えている神は、その同じ神なのです。
天地万物を造られ、人間をも造ってくださった神なのです。
確かに私のこの体すべては、主が造られたものです。
主なる神の、設計されたものなのです。
そして主は私に命を与えてくださり、生かしてくださっています。
そのことだけでも、よく考えればものすごいことです。
今生きているのは、決して当たり前ではないのです。
神が私を造ってくださり、私に命を与えてくださったからこそ
今、私は生きているのです。
私の命を握っておられるのは、神なのです。
神は私を愛し、私のすべてを知っておられるのです。
神が私を造られたのなら、そして私を愛しておられるのなら
私自身も、自分を大切にしなければなりません。
神が造ってくださった自分自身を、大切にするのです。
それが神をおそれることです。
自分の体は自分の自由だと思って、軽く扱ってしまうのは
神をおそれない姿勢です。
暴飲暴食、飲酒喫煙などをしないのは、神をおそれるからなのです。
せっかく神が、私を尊く造ってくださったのに
それを踏みにじるような行動を、慎むのです。
神をおそれるからこそ、自分自身を大切にします。
神が私を宝と言われるのであるなら、私自身も自分を宝と認識します。
神をおそれるというのは、神の言葉を軽んじることなく
それを真剣にとらえ、それを喜んで行っていくことです。
そこには、自分自身を神に愛されている存在として
大切に扱うことも、含まれているのです。
【今日の聖書】
主こそ王。
諸国の民よ、おののけ。
主はケルビムの上に御座を置かれる。
地よ、震えよ。
主はシオンにいまし、大いなる方。
すべての民の上に高くいます。
御名の大いなること、畏るべきことを告白せよ。
主は聖なる方。
力強い王、裁きを愛し、公平を固く定め
ヤコブに対する裁きと恵みの御業を
御自ら、成し遂げられる。
我らの神、主をあがめよ。
その足台に向かってひれ伏せ。
主は聖なる方。
詩編 99編1〜5節