苦しみが民を罪の泥沼から引き揚げた
1.イスラエルの民は繰り返し堕落してしまった
士師記には、イスラエルの人々が何度も何度も悪に陥ってしまい、
主から離れてしまったことが、克明に記されています。
過去、神に助けられ苦しみから救い出されたはずなのに、時と共に忘れてしまい、
主から離れ、周囲の国々の悪しき習慣に倣い、
神ならぬものを神とし、悪に堕ちて行ってしまいます。
2.主は堕落した民に苦しみを与えられた
その結果、主が周囲の国によって、民を苦しめられるに任せ、
その苦しみが極みに達した時にはじめて、
イスラエルの人々は、主に助けを叫び求めるようになるのです。
苦しみが激しくなるまでは、悪から離れようとはせず、
主に立ち返ろうとしないイスラエルの人々が、
苦しみが激しくなると、どうしようもなくなり主に向かって叫ぶようになります。
3.神は助けを求める民に答えられた
その時に、神は士師と呼ばれる人を立てて、
イスラエルの人々を、苦しみから救われていきました。
それまでの悪が全くなかったかのように、神自らが戦われ、
見事にイスラエルの人々を、敵の手から救い出していかれました。
イスラエルの人々は悪に陥ったとき、苦しみが来るまでは
主に立ち返ろうとせず、主から離れたままだったのですが、
神から苦しみを与えられることによって、神を思い出し、
神に助けを叫び求め、神がそれに答えて助け出されたのです。
むすび. 苦しみによって民は神に立ち返った
苦しみはしばしば、今までの罪から離れ、神に立ち返るための
大きなきっかけとなります。罪の泥沼にはまり込んでしまった時、
苦しみこそが脱出のための、大きな動機になってゆくのです。
だからこそ神は、あえて愛する人々に苦しみを与えられていったのです。
すべての苦しみが当てはまるわけではありませんが、士師記の場合は
その目的があったのです。愛の神は、悪に陥った民を見捨てることなく
愛をもって苦しみを与え、滅びることなく、ご自身の元に立ち返り
生きるようにされていったのです。
【今日の聖書】
エフドの死後、
イスラエルの人々はまたも主の目に悪とされることを行い、
主はハツォルで王位についていたカナンの王ヤビンの手に、
彼らを売り渡された。
ヤビンの将軍はシセラであって、
ハロシェト・ハゴイムに住んでいた。
士師記 4章1〜2節