今日のできごと


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2017/6/4(日)



熱心な祈り

 1.人々はペンテコステの前に熱心に祈っていた

 聖書には、人々が「熱心に祈った」ことが、記されています。

 ペンテコステの前、まだ聖霊が誰にも降っていなかった時、
 弟子たちは、婦人たちやイエスの母マリア、
 またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていました。

 彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、
 またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。
    使徒言行録 1章14節

 ここで使われている「熱心に」という言葉は
 「絶えず」とか「ひたすら」という意味合いをもつ言葉です。
 
  (c) 織田昭 電子版「新約聖書ギリシャ語小辞典」改訂第4版 抜粋

 その後、ペンテコステの日に聖霊が注がれ、
 一同は聖霊に満たされます。

 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。
 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、
 ほかの国々の言葉で話しだした。
    使徒言行録 2章3〜4節

 2.人々はペンテコステの後も熱心に祈っていた

 このように聖霊に満たされたペンテコステの後はどうだったでしょうか?

 彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、
 祈ることに熱心であった。
    使徒言行録 2章42節

 ここで使われている「熱心に」という言葉も先ほどと同じ言葉です。
 「絶えず」とか「ひたすら」という意味合いをもつ言葉です。
 
  (c) 織田昭 電子版「新約聖書ギリシャ語小辞典」改訂第4版 抜粋

 ペンテコステの後も、人々は熱心に祈っています。
 ペンテコステの前後で、人々は熱心に祈っていたのです。
 ペンテコステの前後で、祈りの熱心さは変わっていません。

 3.熱心な祈りはペンテコステによって変わっていない

 ここからわかることは、「熱心な祈り」というのは、
 「聖霊に満たされているかどうかによって、変わるものではない」
 ということです。

 「聖霊に満たされたから熱心に祈れるようになった」というのではなく、
 「聖霊に満たされる前から、既に熱心に祈っていた」のです。
 「熱心な祈り」は、聖霊の満たしと無関係に可能です。

 「聖霊に満たされていないから、熱心な祈りができない」
 というのではありません。もちろん聖霊は助け主ですから、
 祈りを助けてくださいます。

 同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。
 わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、
 言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。
 ローマの信徒への手紙 8章26節

 というみ言葉や、次のようなみ言葉があります。

 どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、
 願い求め、すべての聖なる者たちのために、
 絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。
 エフェソの信徒への手紙 6章18節

 けれども、そもそも祈るか祈らないかは「本人の意志」によるものです。
 他でもない私の意志です。
 人々は聖霊に満たされる前に、自分の意志で熱心に祈っていました。

 私たちの意志で、熱心な祈りは十分可能なのです。
 祈りは神がするものなのではなく、私がするものなのです。
 神はそれを聴いて下さるお方なのです。

 むすび. 熱心な祈りはわたしの意志にかかっている

 「祈ろう!」という強い意志が、熱心な祈りへとつながっていきます。
 今日も、祈りを大切にし、祈りは確実に神に届き、神のみ手を動かし
 私を変え、人々を変えることを信じて祈っていきましょう!

 キリストのお名前による祈りは、確実に神に届いているのです。

 【今日の聖書】
 希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、
 たゆまず祈りなさい。
 ローマの信徒への手紙 12章12節


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