恐れる必要はなかったのに恐れてしまった
1.ヤコブは主から「故郷に帰れ」と命じられた
ヤコブは伯父ラバンの家で働いていましたが、
主から、「故郷に帰りなさい。」と言われました。
主はヤコブに言われた。
「あなたは、あなたの故郷である先祖の土地に帰りなさい。
わたしはあなたと共にいる。」
創世記 31章3節
そこで全家族と共に、ラバンの元から去ります。
その途中マハナイムで、ヤコブは神のみ使いたちと遭遇します。
その時ヤコブは「ここは神の陣営だ」と言います。
この出来事は、まさに、神がヤコブに「故郷へ帰れ」と言われたことを、
ヤコブが再確認するようなできごとでした。
「神がわたしに帰れと言われた」ヤコブの行動の動機はそこにありました。
2.ヤコブは兄エサウが迎えに来るのを非常に恐れた
ところが兄エサウが、ヤコブに会いに400人の供の者を連れて
やってくるということを、ヤコブは聞くのです。
ヤコブにやって来たのは、平安ではなく恐れです。
どうか、兄エサウの手から救ってください。
わたしは兄が恐ろしいのです。
兄は攻めて来て、わたしをはじめ母も子供も殺すかもしれません。
創世記 32章12節
「兄が恐ろしいのです」と神に祈っているのです。
神が「帰りなさい」と言われたのだから、絶対大丈夫なはずなのに
にもかかわらず、恐れでいっぱいになっているのです。
これが実は、ヤコブだけでなく、私たちの偽らざる姿なのです。
神が共にいて下さるから絶対に大丈夫なはずなのに、
恐れて平安を失ってしまう、恐怖で一杯になってしまう、
ヤコブの姿に、自分の姿を見るのです。
頭ではわかっていても、いざそういう場面に直面すると
心が動揺し、からだが震えてしまうのです。
3.恐れていたことの真逆なことが起こった
ヤコブはその後どうなったでしょうか?
エサウから、攻撃を仕掛けられたでしょうか?命を狙われたでしょうか?
ヤコブはエサウと「涙の再会」をしているのです。
エサウは走って来てヤコブを迎え、
抱き締め、首を抱えて口づけし、共に泣いた。
創世記 33章4節
ヤコブの恐れていたことは起きず、逆に感動の再会が待っていました。
恐れることはなかったのです。少しもなかったのです。
神が帰れと言われているのですから、無事に帰れるはずだったのです。
むすび. 私たちも同じではないだろうか?
恐れる必要のないことを恐れてしまって、立ち止まってしまう。
動けなくなってしまう。一歩踏み出せずにいてしまう。
恐れることへの対策のために、お金と時間と力をかけてしまう。
私たちもヤコブのことを、決して笑うことはできません。同じなのです。
「恐れることはない!」神の私たちに対する命令はこれです。
今日も恐れずに、神に信頼して歩んでいきましょう!
【今日の聖書】
イエスはその話をそばで聞いて、
「恐れることはない。ただ信じなさい」
と会堂長に言われた。
マルコによる福音書 5章36節
今日は、松江の地域の牧師の早天祈祷会がありました。
牧師自身が祈りの中で、主によって変えられていくことが大切です。
そのために互いに祈り合いました。
また、牧師のいない無牧の教会の礼拝の様子を伺い、牧師のメッセージを
生の声で聴けるという、普段当たり前のように感じていることの重要性を
教えられました。重要な働きを担っている牧師のために、更なる執り成し
の祈りが必要です。ぜひお祈りください。