弓山喜代馬師の語るB・F・バックストン
東京堂出版から2001年に出版された
「現代宗教2001」という書籍の中に、
「日本のペンテコステ運動…弓山喜代馬師に聞く…」
というインタビュー記事が、掲載されています。
そのインタビューの中で、弓山師は次のように語っています。
「あの日本伝道隊、JEBを創設なさったバックストンは、
非常に霊的でした。この方とよく、軽井沢でお会いしました。
それで、この方はもう自分で歌い、自然に踊りだすような
ペンテコステ的な表現をもう人前かまわずやられる方でした。」1
驚いたことに、弓山喜代馬師は、バックストンと直接会っていたというのです。
しかも、「軽井沢でよくお会いしていた」ということですので、
頻繁に会っていたということです。
さらにバックストンが、自分で歌い、自然に踊りだすような
ペンテコステ的な表現を、もう人前かまわずやられる方だったと
回想されているところを見ると、バックストンが聖公会の司祭でありつつも、
ペンテコステの恵みに生きていた人だったと、伺い知ることができます。
さらにインタビューの中で、津島敏宏師(当時小岩栄光キリスト教会副牧師)が、
「バックストンは異言の体験はしていたんでしょうか?」と尋ねると
弓山喜代馬師は、「そうだと思いますよ。」と語っているのです。
そして、神戸聖書学舎(現関西聖書神学校)でバックストンの薫陶を受けた
柘植不知人の聖会について弓山喜代馬師は「その聖会で強い影響を受けました」と
語っています。ということは、弓山喜代馬師が第二次世界大戦の前、
日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団をまだ結成する以前に、
バックストンの信仰の影響を、大きく受けていたことが伺えます。
これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。
ゼカリヤ書 4章6節
この聖句は、教団草創期よりアッセンブリー教団の掲げているみ言葉ですが、
この聖句こそ、バックストンの赤山講話の中の「金の燭台」のメッセージ
2で
引用され語られているみ言葉なのです。
弓山喜代馬師は、バックストンに影響を受けられて、このみ言葉を引用して、
教団の草創期からの聖句としていったのでは、ないでしょうか?
松江で大きな働きをしたバックストンが、実はアッセンブリー教団設立時に
大きな働きをされた弓山喜代馬師にも、影響を及ぼしていた、ということは
非常に大きな感動を、私たちに与えてくれます。
バックストンと現在の松江ゴスペルチャーチは、実は大いに関係があったのです。
【今日の聖書】
あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。
彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。
ヘブライ人への手紙 13章7節
1
弓山 喜代馬. 津島 敏宏.
インタビュー 日本のペンテコステ運動--弓山喜代馬師に聞く.
現代宗教 / 国際宗教研究所 編.. 2001 2001. 東京堂出版 P163
2 以下「金の燭台」メッセージの抜粋
兄弟よ、神は天に属ける者を取り上げたもうてそれに火をともしたまいます。
ただ燭台ばかりでありまするならば闇を照らすことはできません。
伝道者もただ天に属ける性質を得ましただけにて未だ霊の火が燃えませんならば、
ペンテコステの火が点きませんならば、
少しも周囲の闇を追い出すことはできません。
たとい伝道の位置に留まりましても神の栄えではありません、全く無益です。
私共は必ず自分の力で光を照らすことはできません。
ただいま読みました六節のごとく、
『是は權勢に由らず能力に由らず我靈に由るなり』。
兄弟よ、あなたは権勢をもって、能力をもって、伝道を致そうと思いますならば、
大いなる過失です。そういう伝道では罪人を救うことはできません。
それは神の栄えを顕す伝道ではありません。
ただあなたの名を顕す伝道であります。
『是は權勢に由らず能力に由らず我靈に由るなり』。
神は私共に絶えず霊を施したまいとうございます。
私共は絶えず神より霊を頂戴することができます。
たびたびこの教役者会に集まりまして私共は豊かに霊を頂戴いたしました。
またそのために神に感謝いたしました。
或いは各自窃かなるところにおいて霊のバプテスマを受けました。
またそのために神に感謝いたしました。
けれども神は啻にそういう機会ばかりではなく、
絶えず私共に天の霊の膏を注ぎたまいとうございます。
この燭台は絶えず金の油を受け入れました。