今日のできごと


 前日  翌日  今月  去年の今頃  トップへ  更新
2017/5/19(金)



没個性からの脱却

 昨日は島根大学の、仲野寛教授のお話を伺いました。
 特に聖書とは関連がないのですが、以下のような内容でした。

 1.没個性になった現代社会

 最近は、アナログからデジタルになった影響で、カメラにしろ何にしろ
 誰もが同じことができるようになった。誰もが同じ技術の写真が撮れる。
 個性がなくなってしまった。

 昔は、各自の技術が発揮され、それぞれの個性が生かせる時代だったが、
 みんなが同じ技術で、同じことができるようになってしまい、
 没個性になってしまっている。写真であれば、みな同じ写真になってしまう。

 写真に限らず社会全体が、没個性になっている。そして匿名社会。
 福祉も教育も地域社会も、自分たちで独自に実行するのではなく
 どこに行っても、みな同じことを同じように進めている。

 自分たちで考えたことを、自分たちが責任もって実行するのでなく
 上から言われたことを、そのまま考えずに、どこも同じように行う社会。
 地域の独自性がない社会となっている。

 2.個人にも社会にも個性があるはず

 しかし、その地域その地域で特色があるはずで、同じはずがない。
 必ず地域の特色があるはずで、その地域独自のものがあるはず。
 それが発揮できるような社会でなければならない。

 3.没個性の原因は何か?

 個人も、社会も、個性が発揮される必要がある。
 しかしそれができていない。なぜか?
 社会でいえばその地域独自の働きを担うような、場がなくなってきている。

 地域の地縁的つながりが、どんどん失われていっている。
 自治会、青年団がなくなり、その代わりに目的型団体が生まれている。
 その目的のためだけに集まる団体。目的型団体は、地域とは関係が薄い。

 地域全体の強化につながらない。必要なのは、地縁型団体であり活動である。
 独自の地域活動は、地域の地縁的つながりの中で育まれていくはず。
 地縁型活動が減っていったために、地域全体が没個性化してしまった。

 むすび.個性が輝く社会にしていきたい

 今後、どうやって個が見える社会を構築していくか、
 どうやって個を強くして、個の集団である社会全体を強くしていくか、
 どうすれば個が見えて、個が生かされて、個が輝く社会になるか?

 松江市を、住んでて良かったといえるような、前向きの街にしたい。
 そのためには、まず市民ひとりひとりの個性が発揮されるようにし
 積極的アクティブ市民を、輩出していくようにする。

 さらに、個が輝く社会の根底に、人と人とのつながりが必要不可欠。
 これからは、失われつつある地縁型のつながりを、回復するべきだろう。
 そしてアクティブ市民による地縁的活動を進め、社会全体としても独自性を持ち

 さらに個人も輝く社会を作り上げていきたい。
 というような趣旨の話でした。(若干、構成を変え、補足、脚色しています)

 東日本大震災では、行政による公助の限界が明かにされ、
 自助(自分自身で助ける)、共助(自分たちで助け合う)が
 必要不可欠であることが、明らかになったと言われています。

 同じように、地方創生のためには、行政の働きだけでは
 どうしても限界なので、市民の活動が必要不可欠とのことです。
 市民が自ら、それを進めてゆく必要があるということです。

 そのために、積極的アクティブ市民を産み出していきたいということでした。

 個性ということに関していえば、
 聖書には、各自がキリストの体の肢体であると書かれています。
 そしてその肢体は、ひとつではなく多いというのです。

 体は、一つの部分ではなく、
 多くの部分から成っています。
 コリントの信徒への手紙一 12章14節

 確かに人間は、それぞれが独自性を持った個性的存在であるということです。
 誰一人として、この世界には同じ人間は存在しないのです。
 私たちは個性的な存在であり、没個性で生きていく存在ではありません。

 そこで神は、御自分の望みのままに、
 体に一つ一つの部分を置かれたのです。
 すべてが一つの部分になってしまったら、
 どこに体というものがあるでしょう。
 だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。
 コリントの信徒への手紙一 12章18〜20節

 そして、肢体は多くても、キリストのからだは一つなのだと言います。
 各人が個性的でありつつも、キリストによって固く結びあわされて
 一つとされて生きていく、そういう存在なのです。

 とするならば、没個性でなく個々人が輝き、個々人が固く結びついた社会
 というのは、キリストに依らなければできないということになってくるでしょう。
 このような理想的な社会は、キリストに依ることなくしてできないのです。

 【今日の聖書】
 信仰とは、
 望んでいる事柄を確信し、
 見えない事実を確認することです。
 ヘブライ人への手紙 11章1節


 前日  翌日  今月  去年の今頃  トップへ  更新