今日のできごと


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2017/4/7(金)



ユダヤ人の王なら自分を救ってみろ!

 1.人々はイエス・キリストを侮辱した

 1.1 議員たち

 イエス・キリストが十字架につけられたとき、
 民衆は、その姿を立って見つめていました。
 そして議員たちはあざ笑ってこう言いました。
  民衆は立って見つめていた。
  議員たちも、あざ笑って言った。
 「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、
  選ばれた者なら、自分を救うがよい。」
 ルカによる福音書 23章35節

 1.2 兵士たち

 兵士たちも侮辱してこう言っています。
 兵士たちもイエスに近寄り、
 酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、
 「お前がユダヤ人の王なら、
  自分を救ってみろ。」
 ルカによる福音書 23章36〜37節

 1.3 祭司長たちと律法学者たち

 祭司長たちと律法学者たちも侮辱して言いました。
 同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、
 代わる代わるイエスを侮辱して言った。
 「他人は救ったのに、自分は救えない。
  メシア、イスラエルの王、
  今すぐ十字架から降りるがいい。
  それを見たら、信じてやろう。」
 マルコによる福音書 15章31〜32節

 マタイによる福音書27章41節を見ると、
 これに長老たちも含まれています。

 議員たち、兵士たち、祭司長たち、律法学者たち、長老たち
 彼らイエスに対する侮辱の内容の共通点はこれです。
 「本物のメシアなら自分を救ってみろ!」

 2.悪魔のイエスへの誘惑の言葉

 2.1 神の子なら飛び降りたらどうだ

 「もし○○なら□□してみろ!」
 という問いかけは、悪魔がイエス・キリストに語った
 問いかけの方法でもあります。

 すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。
 「神の子なら、
  これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」
 マタイによる福音書 4章3節

 「もし神の子なら」→「石をパンにしてみろ」
 「もし○○なら□□してみろ!」のパターンです。
 2番目もそうです。

 次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、
 神殿の屋根の端に立たせて、言った。

 「神の子なら、飛び降りたらどうだ。
 『神があなたのために天使たちに命じると、
  あなたの足が石に打ち当たることのないように、
  天使たちは手であなたを支える』
 と書いてある。」
 マタイによる福音書 4章5〜6節

 「もし神の子なら」→「ここから飛び降りてみろ」
 これも「もし○○なら□□してみろ!」のパターンです。
 イエスは、この誘惑に乗ることはありませんでした。

 2.2 悪魔の言葉と人々の侮辱の言葉との共通点

 悪魔の「神の子なら、飛び降りたらどうだ」
 人々の「ユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」
 これらの問いかけの、共通点は何でしょうか?

 これらの言葉は「イエスを試そう」というものですが、
 イエスを試してやろうという態度の裏側には
 何があるでしょうか?

 そこにあるのは、傲慢さです。
 「ほら、やってみろよ!神の子なんだろう?」
 という傲慢な思いがあります。

 そこには謙遜な姿がありません。
 イエスを上から見下し、高ぶる姿があるだけです。
   「やっぱりできないだろう!」という不信仰もあります。
 
 2.3 悪魔は人々をだましている

 私たちに求められていることは、信仰です。
 信仰は、見たから信じるのではありません。
 見ないで信じるのが信仰なのです。

 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、
 見えない事実を確認することです。
 ヘブライ人への手紙 11章1節

 しかし悪魔はこの逆を言ってきます。
 「見たことだけを信じなさい」
 「見てないことは信じなくて良い」と言ってくるのです。

 3.侮辱を乗り越えた先の素晴らしい結末

 3.1 十字架から降りることはなかった

 イエス・キリストはどうなったでしょうか?
 決して十字架から降りるようなことはありませんでした。
 逆に、そのまま十字架で凄惨な死を遂げられたのです。

 3.2 もっとすごい死からの復活を示された

 けれども、十字架から降りるよりももっとすごいことが
 起こります。復活です。死後、墓に葬られますが、
 3日目に復活され、メシアであったことを証明されたのです。

 十字架から降りるよりももっと明確で、決定的な証明を
 死から復活することを通して、なしてくださったのです。
 ご自身が正真正銘の救い主であると示されたのです。

 3.3 復活のためには十字架で死ぬことが必須だった

 もし人々の侮辱の言葉に応じて、それに乗ってしまって
 十字架から降りるようなことがあったなら、
 十字架の贖いは完成されていませんでした。

 全人類の罪の赦しによる救いを成し遂げるためには、
 十字架の死が何としても必要だったのです。
 「十字架から降りてみろ」という侮辱に耐えて、

 それを乗り越えた先に、素晴らしい復活が待っていました。
 復活に勝るメシアの証明はありません。
 復活こそが、イエスがメシアであることを何よりも明確に
 証明しているのです。

 むすび.確かにイエス・キリストこそ本当の救い主

 確かに、イエス・キリストは十字架から降りて
 自分を救うということはありませんでした。
 「メシアなら十字架から降りるがよい!」と侮辱されましたが

 本当のメシアなら十字架で死んで、復活するはずだったのです。
 十字架上で死んで終わりではなかったのです。
 死から復活されて、
 ご自身が正真正銘のメシアであることを示されたのです。

 イエス・キリストこそ、本当のメシアであり、
 ユダヤ人の王であるばかりか、全世界の人々の王であり
 神の子救い主なのです。

 【今日の聖書】
 わたしたちの先祖の神は、
 あなたがたが木につけて殺したイエスを復活させられました。
 神はイスラエルを悔い改めさせ、
 その罪を赦すために、
 この方を導き手とし、救い主として、
 御自分の右に上げられました。
 使徒言行録 5章30〜31節


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