キリストの罪状書は「ユダヤ人の王」
1.ピラトが書いた罪状書きは「ユダヤ人の王」だった
イエス・キリストが十字架にかけられたとき、
罪状書きが、十字架の上に掛けられていました。
「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」というものです。
ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。
それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。
イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、
多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。
それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。
ヨハネによる福音書 19章19〜20節
ユダヤ人の使っていたヘブライ語(アラム語を含む)
ローマ帝国の地中海西方地域で使われていたラテン語
主に地中海東方地域の公用語であったギリシア語の
3つの言語で、書き記されていました。
過越祭でエルサレムに諸地域から人々が集まっていましたが
そこにいた誰もが理解できるように、書かれていたわけです。
ピラトが罪状書きを書いたということですので、
ピラトは3言語を扱うことができた人物だったことがわかります。
そしてこの3言語の罪状書きから、ピラトの思いが伝わってきます。
「今死刑になっているイエスには何の罪もなかったんだ」
「イエスはユダヤ人の王だったんだ、何ら死刑には値しないんだ」
「みんなわかってくれ」というピラトの思いです。
2.祭司長たちは罪状書きを見て反発した
しかし祭司長たちは、この罪状書きを見て、ピラトに言います。
ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、
「『ユダヤ人の王』と書かず、
『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください」
と言った。
ヨハネによる福音書 19章21節
祭司長たちにとってイエスは、自分を神とする「自称神の子」
自分を王とする「自称ユダヤ人の王」でしかありませんでした。
自分を神の子と自称したからこそ、死刑なんだということを
示してほしかったのです。それは律法違反だからです。
ところがピラトはそれを、受け付けません。
はねのけます。
しかし、ピラトは、
「わたしが書いたものは、書いたままにしておけ」と答えた。
ヨハネによる福音書 19章22節
3.罪状書きは真理を示していた
この罪状書きは、正しかったのです。
ピラトが書いた通り、イエスは神の子救い主であり、
ユダヤ人の王であり、全世界の王だったわけです。
自称でなく本物だったのですから、律法違反にはなりません。
逆に、「自分は神の子ではない」と言う方が、偽証になって
律法違反になってしまうのです。
「罪状書きなのに、罪が記されていない。」
「逆に、王であることが記されている。」
まさにそれが真実を表していたのです。
世界最大の冤罪だったのです。
イエスご自身には何の罪もなかったにもかかわらず、
罪の刑罰である十字架刑を受けられたのです。
むすび.
王なのに民のために十字架につけられた、
それがイエス・キリストなのです。
本来、民の上に立って権威をもって治めるべき方が
権威をもって治めるどころか、民のために命を捨てられた、
最高のお方が、最低まで低くなってくださった、
それが十字架だったのです。
【今日の聖書】
キリストは、神の身分でありながら、
神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
かえって自分を無にして、僕の身分になり、
人間と同じ者になられました。
人間の姿で現れ、へりくだって、
死に至るまで、
それも十字架の死に至るまで従順でした。
フィリピの信徒への手紙 2章6〜8節