自分では正しいと思っていたのに
イエス・キリストを十字架にかけた人々は、
神に反逆する思いで、イエスを十字架にかけた
わけではありません。その逆です。
自分を「神の子だ」と言うような人間は、
神の律法に反している、神を冒涜する者だ、
だからイエスは死に値する者だ、と判断を下していたのです。
「神に従おう」という思いだったのです。
「律法に背く者を律法に従って裁いているだけ」
「自分たちは正しいことをしているのだ」と思っていたのです。
ユダヤ人たちは答えた。
「わたしたちには律法があります。
律法によれば、この男は死罪に当たります。
神の子と自称したからです。」
ヨハネによる福音書 19章7節
「人間なのに自分を神とする者は死に値する、
だから、死刑は当然だ」と考えていたのです。
まさにイザヤの預言通りだったのです。
わたしたちは思っていた
神の手にかかり、打たれたから
彼は苦しんでいるのだ、と。
イザヤ書 53章4節(抜粋)
しかしイエス・キリストこそ、真の救い主でした。
イエスの苦しみは、私たちの罪のためだったのです。
人々はそれを理解できていなかったのです。
【今日の聖書】
彼は軽蔑され、人々に見捨てられ
多くの痛みを負い、病を知っている。
彼はわたしたちに顔を隠し
わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
彼が担ったのはわたしたちの病
彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
わたしたちは思っていた
神の手にかかり、打たれたから
彼は苦しんでいるのだ、と。
彼が刺し貫かれたのは
わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは
わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによって
わたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
イザヤ書 53章3〜5節